聖書通読18日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
水曜日は詩歌
〜。
ヨブ5-6章
知恵ある人とは、どんな人だろう

どれだけ知識が豊富でも、知恵者であるわけではない。誰もがうなずく正論を持っていても、それをそのまま並べれば、人を苦しめることさえある
。ヨブの友人エリファズがそうだった
。
エリファズに悪意があったわけではなく、むしろそれは友を思う善意から
。彼は苦しむヨブをわざわざ訪ねたのだ(ヨブ2:11)。エリファズと友人二人はヨブのために泣き、七日七夜、地にすわり、ヨブを前に一言も発することができなかった
(ヨブ2:13)。
しかし、ヨブが苦しみを口にしたことを皮切りに、ヨブと友とは論争へ
。その地域一番の富豪だったヨブのあまりに悲惨な状況が、彼らをおびえさせたのか
(ヨブ6:21)。自分の寄って立つところが揺らぐ時、人はしばしば攻撃的になる
。エリファズは自分の知る限りを述べて、こう言った。「さあ、私たちが調べ上げたことはこのとおりだ。これを聞き、あなた自身でこれを知れ。(ヨブ5:27)」
とうとうヨブが悲鳴を上げる
。「まっすぐなことばはなんと痛いことか。あなたがたは何を責め立てているのか。あなたがたはことばで私を責めるつもりか。(ヨブ6:25)」
ヨブの心は叫ぶ
。「落胆している者には、その友から友情を。(ヨブ6:14)」
ああ、知識と知恵は違うのだ
。知識が人の役に立たないことも多いのだ。「知恵のある人の舌は人をいやす。(箴言12:18)」知恵ある人は、人をいやす。ああ、主よ。私たちにあなたの知恵を。あなたの愛を表現することができるように
。
「知恵はへりくだる者とともにある。(箴言11:2)」主よ、どうぞ私たちにへりくだることを教えてください
。「だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせ(テトス3:2)」てください
。
そして、「私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くように(イザヤ50:4)」してください
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
I will learn to walk in the light of what I have —eternal life.
