聖書通読8日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
日曜日は律法
。
創世記4-7章
主が目を留められるのは形ではない
。アベルがささげものをした時、主が目を留められたのはささげものだけではなかった
。
「アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。(創世記4:4)」
主が目を留められたのは「アベルのささげもの」ではなく、「アベルとそのささげ物(創世記4:4)」
。主はまず、アベル自身に目を留めたのだ
。アベルの何に目を留められたのか
それは、アベルの心。アベルは主の前にへりくだっていた
。
「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。(イザヤ66:2)」
ああ主よ、私たちの心をささげます。私たちの心を今、受け取ってください
。
主の前に、どんな心でそれをするかが最も重要だ。「何をしなければならない」「何をしてはいけない」という発想は、とたんに私たちを律法主義の罠に引き込む
。そこからは内なる変革は生まれない
。
律法は大事だ。それがなければ、私たちは何が善で何が悪かも分からない。ある時期までは、そのような「養育係(ガラテヤ3:24)」も必要だ
。しかし、今、イエス様を信じる私たちの内には聖霊が宿り、聖霊が恵みの中で全てを教える
。そう、主の導きは恵みによるものだ。それは強制されてすることではない。「ねばならない」ですることではない。
恵みの中で内側から示されてすることには、喜びが伴う。自分も周りもハッピーだ。そのことを私も、ここ数日で体験した

。
律法の第一は、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない(出エジプト20:3)」だ
。
第二は「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。(出エジプト20:4-6)」
悔い改めにも段階がある
。自分個人の悔い改めに始まり、両親、先祖のことも含めた悔い改めなど。ダニエルは国と民族のための悔い改めをした
(ダニエル9:4)。
実家に行くといつも、仏壇、神棚に主イエスの血潮をかけ祈った
。しかし、取り外すにも主の時がある。父は、私の生まれる前から、毎朝、仏壇と神棚の水を替え、手を合わせて一日を始めていた
。私も子供の頃、米や塩、水などを供える手伝いをした。酒を供えるのは決まって父で、「おっとっと」と言いながら横の器にこぼしてにんまり飲んでいたことを思い出す
。
その父が一ヶ月半前に主を受け入れた
。生まれたてのBabyクリスチャン。実家の仏壇と神棚は気になるが、父がかなり大事にしてきた習慣でもあり、私は祈って主に預け、主の時を待つ
。主が私に言われるから。「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。(出エジプト14:14)」
一昨日の晩、病室で父とゆっくり話をした。左半身不随で、動きの取れない父は、お正月も、テレビを見るしかなかった
。良い動画を見せたくても操作ができないし、ラジオは電波が入らない。本を読むこともできない。結局、昼間眠らないよう、備え付けのテレビのスイッチをポチッと押すしかないのだ
。お正月はどこも、日本の神社仏閣特集ばかり。それをずーっと見ていたという
。しかし、父がこんなことを言う。「結局、神社仏閣が祀っているのは人や物だな」。お


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。良い動画を見せたくても操作ができないし、ラジオは電波が入らない。本を読むこともできない。結局、昼間眠らないよう、備え付けのテレビのスイッチをポチッと押すしかないのだ
。お正月はどこも、日本の神社仏閣特集ばかり。それをずーっと見ていたというそして、「家の仏壇と神棚をどうかしなきゃいけないと思う」と言うのだ
。ハレルヤ〜
!!!本当に驚いた

。私は主に深く感謝して、「私がやってあげるよ」と言った
。
翌日すぐ、つまり昨晩、さっそく取り外しに
。仏壇はすでになかったが、天井近くに備え付けてある神棚の撤去は簡単ではなかった。釘が何本も斜めに打ち付けてあり、完全な大工仕事。まるで堅固な要塞を崩しているかのようだった
。時間がかかるも、祈りながら粘り強く攻める。これ以上どうしていいか分からなくなると祈った。すると、その都度、主が知恵をくださるのだ
。夜遅くに撤去作業は無事終了。最後の釘を引き抜いた時「倒れた。大バビロンが倒れた。(黙示録18:2)」と感じた。それは確かに我が家にとっては「悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつ(黙示録18:2)」だった
。
その時、別の家族Kさんから連絡が
。「今から教会へ行くよ」と。日本の夜は欧州の昼。誰も知らない環境に行くのはいやだけど、頑張って行ってくるという。Kさん新年初礼拝。ハレルヤ

そして、一夜明けた今朝、私たちが祈っている時に父から電話
。「今日はぐっすり眠れた」と。感謝〜
!!!寝れない夜が多かったから、それはサイコーのニュースだ
。そして、何と

!今まで全く動かなかった左足が、初めてぴくっと動くのを自覚したそうだ


。
ハレルヤ!!!主の恵み!!!
ハレルヤ!!!主の奇跡!!!
ああ、私たちの主は素晴らしい!!!私たちは、さらに驚くべきことを見るだろう
。大事なことは私たちの心。主は心の中心を見られる。ああ、私たちに内なる変革を
。それこそが本当の奇跡
。
ここにあそこにいろんな人に。主の働きは重層的だ。ああ、恵みよ、どんどん飛び火せよ!!!今、読んでくださっている方の、その場所から主のみわざが現れるよう!!!イエスの御名で祝福します
。
そのために、今日も主の前に静まろう。み言葉を待ち望もう。主との時間を楽しもう。私たちに力がなくていい、いや、ない方がいい。主だけに頼っていくのだ
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
I believe that Jesus Christ is the Son of God. I believe that He died for my sins according to the Scriptures. I believe that He was raised from the dead for my justification; that is, that I might be set right with God. I believe in my heart that I am the righteousness of God. I am made right with God through what Jesus did.
