聖書通読7日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
土曜日は手紙〜。
ロマ1-2章
神がいるいないの議論は昔からあったが、神の方からはすでにご自身を現わしていた
。「神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。(ロマ1:19)」
どのように

それは自然万物を見れば分かるという
。
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 (ロマ1:20)」
弁解の余地はないと聖書は言う
。にもかかわらず、神に心を向けなければ、「その思いはむなしくなり、その無知な心は暗く(ロマ1:21)」なる
。
だから、「よくわかんなーい!」と言って、「神を知ろうとしたがらない(ロマ1:28)」者にならず、神を知ることを求める者になろう
。
私たちが求めさえすれば、神はさらにご自身を現してくださる
。「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。(エレミヤ29:13-14)」
「おおいかぶされているもので、現わされないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。(ルカ12:2)」
神を求めること以上に人生で価値あることはない
。最上を求める人、本物を求める人は、必ず神に出会っていくだろう
。
神が分かることに弁解の余地はないが、もう一つ弁解できないものがある
。
それは「他人をさばく(ロマ2:1)」ことだという
。
「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。(ロマ2:1)」
ああ、心しておこう。やはり聖書は2つの結論に行き着く。それは、神を愛すること
。そして隣人を愛すること
。
主よ、私たちの内で、私たちを聡くしてください。あなたにより頼みます
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
I believe that Jesus is the Christ, the Son of God. And, believing, I received zoe through His Name. I shall never perish. I have zoe. I have the life of God —I have the nature of God —abiding in me.
