通読準備5日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
創世記〜黙示録
静かな東京の大晦日。駐輪場の自転車もまばら
。いつもは大遠征とばかりに、主人の実家、島根に帰省するけれど、数週間前に帰ったから、今年は10年ぶりに東京での年越し
。
東京駅のカフェも、向こうの方に何かを勉強する青年がいるのみだ。ここでしばし主との時間
。
2018年最後の時に、主が続けて私の心に語られるのは「橋をかけること」
。イエス様が父なる神と私の間に橋となってくださったように、私はどんな橋となれるのか

自分があったら、橋にはなれない
。私が道なのではなく、私の内におられるキリストが道だから
。主は言われる。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6)」
自分がみ言葉を食べ、変えられていったとしても、世に夢中な人を判断したり、批評したりすることは何としても避けたい
。私の内におられる方はそのような方ではないからだ
。
主イエスは神の御姿であられる方なのに、ご自分を無にして、仕える生涯を歩まれた
。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人間と同じようなかたちになり、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(ピリピ2:6-8)」
私たちと同じ姿になってくださったのだ
。だからこそ橋をかけることが可能になる。私も誰かを主に導こうとしたら、その人と共感できるところがあってこそ可能だ。
「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。(Ⅰコリント9:20)」
「律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。(Ⅰコリント9:20)」
「律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。(Ⅰコリント9:21)」
「弱い人々には、弱い者になりました。(Ⅰコリント9:22)」
「私はあなたとは違う」とは言わない
。「私はあなたと同じ者です」と言って、橋をかけよう。それは彼らの救いのため。「それは、何とかして、幾人かでも救うため(Ⅰコリント9:22)」
おお主よ。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。(イザヤ6:8)」と言うことができる、真の謙遜を得させてください
。
私たちが蒔く物は種のように小さな物です。しかし、主よ、あなたが、それにからだを与えてくださいます。ハレルヤ!主のみわざ
。「あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。(Ⅰコリント15:37-38)」
おお主よ。私たちは、そのことに信頼し、日々、種を蒔き続けます
。種の小ささにへこたれません。いや、むしろ喜んで、夢中になって蒔き続けます
。私たちはあなたが後にくださるからだを信仰の目で見つめます。
「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。(創世記26:12)」
2019年が終わる頃、主よ、あなたが多くの人を得ていますように。主よ、あなたの国が、神の国が大きく拡大していますように

2018年の全てを主に感謝します。読んでくださった皆さんに感謝します
。それぞれのいる場所から、喜びが湧き起こりますように
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
When you became a child of God, God imparted His own nature —eternal life —to you. This life, this nature, this being, this substance of God, instantly changed your spirit.
