聖書通読25、26日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
ヘブル11-13、ヤコブ1-5、Ⅰペテロ1-5、Ⅱペテロ1-3、ユダ、Ⅰヨハネ1-5章
12月に入った
。私の2018年の通読も、あと3日。そんな時、教会で牧師先生と、海外から来られた宣教師の方に「しばらく異言の祈りをやめて、言葉だけで祈るように」と言われた。え
今まで異言の祈りの素晴らしさを体験してきたけれど、昨日から一切異言の祈りをせず、み言葉で祈ることに
。
み言葉を口からアウトプットし祈ることによって、「御父および御子イエス・キリストとの交わり(Ⅰヨハネ1:3)」を深めることが、今の私には必要なようだ
。
私の中にあふれる悪と偽善、罪を、主はあわれみ、み言葉の洗いによって、完全にきよめるように、この特別な期間が与えられたと感じている
。
「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。(Ⅰヨハネ1:8)」
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1:9)」
主は私を励まされる
。「自分の持っている最もきよい信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダ20-21)」
私たちがみ言葉を読む時、聖霊が私たちの心にみ言葉を書きしるしてくださる
。それは遠い昔からの約束
。「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(エレミヤ31:33)」
主が私たちの思いの中に、主の思いを入れ、私たちの心に主の心を注いでくださる
。「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。(ヘブル8:10)」
それは「墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれ(Ⅱコリント3:3)」たもの
。
聖霊によって心に書きつけられた律法は、私たち自身が内側に命を感じ、喜びを感じる
。それは完全な律法であり、私たちを自由にする律法
。「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。(ヤコブ1:25)」
私たちの中に自由の律法が書き入れられると、その時々に必要な、力あるみ言葉が私たちの内に思い起こされる
。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ14:26)」
そして、神の御心に従って、進んで「〜したい」という意志や願いへと導かれる
。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2:13)」
私たちはそれぞれ、どんなことをしたいと思わされるだろう。それは楽しいプロセスだ
。主がくださるものは素晴らしいに決まってる。み言葉を愛するお一人お一人に素晴らしい祝福をお祈りします
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
I come to Jesus. Therefore, I shall never hunger. I believe on Jesus. Therefore, I shall never thirst. I am related to God. He is my father. I have fellowship with Him. My heart is satisfied!
