聖書通読2日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
マタイ11-20章
「思っただけで願いが叶う」
。よく言われるし、私もいろいろ体験した。テーマパークに行きたいと思ったら、その日のうちに「チケット送るよ」と友達から連絡が来たり
。タイミングよく人を助け喜ばせることができたり。
昔は単純にそれを喜んでいたけれど、クリスチャンになって、真理のみ言葉で目が開かれ、自分の心に注意するようになった
。
願いが叶うことは魅力的だ。しかし、叶って、自分の心に残るものは何だろう
それは果たして崇高なものか。いやー、そうでもなかったな
。
「世と世の欲は滅び去ります(ⅠⅠヨハネ2:17)」
あー、ポジティブな考えを持ち、願いが叶うことを無邪気に喜んでいた。そこに自分を神から遠ざける落とし穴があることも知らずに
。
「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。(マタイ15:8-9)」
「肉の喜びに満足することは「自分の心を太らせ」ることだった
。「あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。 (ヤコブ5:5)」
このみ言葉がやたら生々しく、忘れられない
。「自分の心を太らせる」、、、考えただけでぞっとする
。そこには謙遜さのかけらもない。神の御心を尋ねるよりも、自分の考えで生きることは、心を太らせることなのだ
。目標が達成されるほど、自我がどんどん強くなる。神からどんどん離れていく
。自分の力で生きていくようになる。
ネガティブなことを考える場合も同じだ
。「自分はダメだ」という自分の考えを握るようになると、神の御心とは関係なく、自我がどんどん強くなる。神からどんどん離れていく
。自分の力で生きていくようになる。
あー、「自己実現」って言葉も好きだった。人生一度きり。どうせ生きるなら、自分にしかないものを花開かせて、なんて思っていた。それもその通りだ。しかし、それは自分なりの目標、自分なりの計画だった。聖書は教える。「人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけが成る。(箴言19:21)」
私は間違っていた
。私を私のものだと思っていた。自分の人生は自分が決めると思っていた。自分も喜び、人にも喜ばれるなら、それは神にも喜ばれるなんて、とんでもない勘違いをしていた
。聖書にそうは書いてない
。
「肉にある者は神を喜ばせることができません。(ロマ8:8)」
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(Ⅰヨハネ2:16)」
肉から出た願いが叶っても、私に何の霊的進歩もない
。しかし、霊から発する願い、すなわち聖霊による願い、神から来た願いは、私たちを根本から変えていく
。私たちを悔い改めに導き、神の前にへりくだらせ、神の心、神の愛、神の祝福を受け取るようにさせていく
。そこには体のことも、物質的なものも、全て含まれている。
「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。(ロマ8:6)」
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。(ロマ8:5)」
主イエスは言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。(マタイ16:24-25)」
だから、自我を、エゴを、自分の考えを、自分の義を今日も捨て去ろう
。それらがすでに十字架につけられていることを確認しよう
。
「たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけ(Ⅰペテロ2:11)」、自分の心を太らせないようにしよう。いや、むしろ、御心を求め、主が用意された、素晴らしいものを受け取ろう
。私たちが主のものであること、主が私たちの主権者であることを知って、幸せの道、いのちの道を進んで行こう
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
If man is made in the likeness of God, and God is a Spirit, then man, of necessity, must be a spirit.
