聖書通読14日目。
今日もみ言葉で祈ろう。
使徒3-12、13-18:22、Ⅰテサロニケ1-5章
小学校での防災訓練で校長先生が言っていた
。「練習は本番のように、本番は練習のように」勝負の世界、スポーツの分野でよく使われる言葉だ。
これを聞いた時、「私たちこそこれだ!」と思った
。
やがて、私たちは神の前に立つ。それはいわば本番か
。それまでの全ての時は備えの時。つまり、練習だとも言えようか。しかし、練習のような今も、主との親密な関係を築くなら、本番のような味わいと感動を得る
。そんな日々の集積が、私たちキリスト者の人生だ。ハレルヤ
エジプトが豊作で、平穏無事だった頃、主はヨセフを用い、飢饉のための備えをさせた
(創世記41:34)。ヨセフのリーダーシップのもと、蓄えられた食糧は、後にエジプトばかりでなく、全世界を救うものとなった
。「ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。(創世記41:55)」
だから、試練の時ばかりでなく、物事が順調に進む時、その時こそ、心を定め、備える時だ
。
ヨセフは穀物を備えた。
私たちは何を備えよう

私たちは全てに打ち勝つ最高のものを備えよう
。
私たちに真に力を与え、喜びを与える糧
。それは霊の糧、すなわち、み言葉だ
。食糧が私たちの体の材料となるように、み言葉は私たちの見えない部分、すなわち霊と魂の材料となる
。
それを心の倉に入れるのだ

。
どれくらい入れたらいいだろう

「ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。(創世記41:49)」
だから、私も思った。霊の糧であるみ言葉も、「海の砂のように非常に多くたくわえ(創世記41:49)」よう。ついにはそれが溢れ出て、私たちの内から周囲へ流れ出すほどに
。その時、私たちは良い倉から良い物を取り出す者となる
。
「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。(ルカ6:45)」
このように、み言葉は、自分自身を建てあげ、人々をも助ける
。しかし、それだけでは終わらない
。み言葉がすごいのは、それが見えない敵と戦う強力な武器にもなるという点だ。私たちが時宜に応じて受け取る神の言葉は「御霊の与える剣(エペソ6:17)」なのだ
。
この剣の扱いの全てを教えるのが聖霊だ
。聖霊に満たされると、心の倉にたくわえておいたみ言葉が溢れ出す。つまり、そこに神の力が現れるのだ
。
弟子たちがしるしと不思議なわざを求めて、イエスの御名で「祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4:31)」
ああ、聖霊に導かれ歩むことが、最高の備えだ
。毎日をそんな風に歩みたい。神のみこころだけに従って、備えの一歩一歩を本番のごとくに歩みたい
。
「神のみこころは、あなたがたがきよくなることです。(Ⅰテサロニケ4:3)」 備えの時間を喜ぼう
。
「平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。(Ⅰテサロニケ5:23)」
今日も聖霊に導かれ、主と生きる
。毎日が主と会う本番に
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
Jesus has already obtained healing for me. I accept it. I claim it. I have it. By Jesus’ stripes, I was healed!
