聖書通読2、3日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
マタイ11-20、21-28章
駅から家に歩く途中、気になるスポットがある
。
かつて、崩れそうな古い家があった所。家は数年前に取り壊され、その後、赤い鳥居が立ち、石の土台が築かれ、その上に小さなほこらが建てられた
。私がクリスチャンになった後のことで、何だかとても気になっていた
。
それで、そこを通るたびに、主イエスの血潮をかけていた
。1、2年、続けたろうか。先週もいつものように、「イエスの血潮、イエスの血潮」と言いながら、ふと見たら、なんと!鳥居と土台はあるのに、ほこらがない


!!! きれいすっかり取り払われている。ち、血潮の力
よく分からないけれど、とりあえず、その土地の所有者と地域の人々の祝福を心から祈った
。そして、そこに働く「空中の権威を持つ支配者(エペソ2:2)」、すなわち悪魔とあらゆる悪しき霊をイエスの御名で縛り、追い出す祈りをした
。
主は私たち人間に対して、どこまでもお優しい
。考えられないほどの甘さで、抱きかかえてくださる。神の人間への処遇は、ありえない甘さだ
。しかし、悪魔と悪しき霊に向かっては、神は容赦なく打ち滅ぼされる
。
サタンに向かってはイエス様の語調も厳しい
。荒野での試練に際し、サタンに言う。「引き下がれ。サタン。(マタイ4:10)」
ペテロにも言われた
。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(マタイ16:23)」
主はペテロを愛していた。主はペテロの人格を否定したのではない
。ペテロではなく、ペテロに働く悪しき霊を責めたのだ。それはペテロを愛するゆえ。私たちを愛するゆえ
。
主は言われる
。「わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。(マタイ12:28)」
主の霊が私たちに生きて働くと、私たちの中の、神が造ったものではない部分が照らし出される
。それがあることは、私たちにとって不幸なのだ
。「神の御霊によって悪霊どもを追い出す」ということは、私たちの中の主人が変わったことを意味する。支配者が悪霊ではなく、神の御霊になったということ。つまり、神の国が訪れているのだ
。
何か厳しい指導を受ける時、それは自分の人格が否定されたわけではない
。生きて働く神が、私たちを愛するがゆえに、私たちの中の、私たちでないものを追い出してくださろうとしているのだ
。
自分が責められたと思えば、気分が悪い。心が閉じれば、成長もいったんお休みだ
。それはあまりにもったいない
。
でも、自分ではなく、悪しき霊が責められたと分かれば、主と一緒になって「そうだそうだ、アーメン!」と言える
。だから、身に覚えのないものも含めて「アーメンアーメン、その通りです。そういうものが働いてるかもしれません。それ、全部、本来の私ではありません。悔い改めて、分離して、追い出します!」とやるようにしている
。
そうすると、自分がどんどん軽くなる
。そして、時が来ると、実際、そういうものが自分の中にあったと、後になって悟るのだ
。その悟りは何にも代えがたい甘美な恵みだ。
それを導いてくださるのも内なる聖霊
。聖霊が悟らせ、心からの悔い改めに導かれると、自分の罪が分かるようになる。それが分かるほど、主の愛と恵みの大きさを、実感をもって体験していく
。
「わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。(マタイ12:28)」アーメン
悪霊に支配されだまされてきた時代は終わった。神のご支配が始まった。私たちに神の国が訪れている。ハレルヤ
。
ああ、主よ、私たちの霊の目を開き、霊の耳を開いてください
。「見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしない(マタイ13:13)」者とならせないでください。いつでも、あなたの愛と、甘美な恵みに目を留めさせてください
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
And he will love thee, and bless thee, and multiply thee:
