聖書通読26、27日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
Ⅱペテロ1-3、ユダ、Ⅰヨハネ1-5、Ⅱヨハネ、Ⅲヨハネ、黙示録1-11章
何を見るかで、人生は変わる
。飛行機だって、最初のほんの少しの角度の違いで、行き着く先は南国
と南極
ほどの差をもたらす。私たちの行き着く先はどこだろう。それは、自分がいつも見ているものによって知ることができる
。
ああ主よ、「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。(詩篇119:37)」
人類の歴史は全て①「見て」、②自分の考えでそれを取って、③神から離れ不幸に。この連続だ。そもそも始まりがそうだった
。「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。(創世記3:6)」
アブラハムとサラが、ハガルを見た時もそうだった
。アロンが金の子牛を造った時もそうだった
。人々がサウルを王に選んだ時も、ダビデがバテシバを見た時も、全部このパターンだった
。人は見て、良さそうに見えるものを選んでしまう
。
そのパターンから抜け出すために主イエスキリストが来られた
。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2)」
私たちの目は私たちの教師を見続けよう(イザヤ30:20)。私たちの「師はただひとり、キリスト(マタイ23:10)」だ。
そんな私たちはどういう者か

「この私たちは、キリストの威光の目撃者(Ⅱペテロ1:16)」だ
。キリストの威光は、肉の目では決して見ることはできない
。私たちの「目からうろこのような物が落ちて、目が見えるように(使徒9:18)」なって初めてはっきり見えるもの
。
まだぼんやりとしか見えない私は、信仰を働かせて心で見る。何を見るか
それは、はっきりクリアなみ言葉だ
。「私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。(Ⅱペテロ1:19)」
ハレルヤ!主に感謝する
。私たちはみ言葉を見続けよう。そして、私たちの霊の目がますます開かれていくよう祈り続けよう。
「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。(Ⅰヨハネ4:15)」アーメン
私たちの霊の目が開かれて、どんな状況にあっても、恐れを知らない者になることをイエスの御名で宣言します
。
おお主よ、私たち信じる者が、常にあなたを見、物事の背景で働く悪しき霊を見、私たちの祈りによってあなたが送られる「万の幾万倍、千の幾千倍(黙示録5:11)」の天使たちを見ますように
。そして「私たちとともにいる者(天軍天使)は、彼らとともにいる者よりも多い(Ⅱ列王6:16)」と自信をもって歩むことができますように!
今日も主を愛する者たちの祈りにこたえ、それぞれの場所に主が天軍天使を送ってくださいますように
!!!そして私たちが「キリストの威光の目撃者(Ⅱペテロ1:16)」となりますように
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
I love and serve the Lord my God as a New Covenant believer. Jesus has taken sickness away from the midst of me. If He tarries His coming, the number of my days I will fulfill!
