聖書通読13日目。

今日もみ言葉で祈ろう
。
使徒3-12章
初代教会には、多くの個性あふれる人々が集められた。今の私たちも同じだ
。初代教会には、パウロのようなインテリもいれば、ペテロやヨハネのような無学な者もいた。
しかし、知識が豊富かどうか、知的レベルがどうかは、神の働きのために何の意味も持たなかった
。無学な者も、神の力を着せられると人々を圧倒していく。「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見 、またふたりが無学な 、普通の人であるのを知って驚いたが 、ふたりがイエスとともにいたのだ 、ということがわかって来た 。(使徒4:13)」
一方、パウロは世間的には一目置かれるその博学を損と思い、ちりあくただとまで言い放つ
(ピリピ3:8)。そして、それらを放棄して「イエス ・キリスト 、すなわち十字架につけられた方のほかは 、何も知らないことに決心した(Ⅰコリント2:2)」とさえ宣言した
。

また、人が増えれば、食事のことなど、雑多なことで争いが起きたりもする
。それでリーダーである十二使徒たちはこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして 、食卓のことに仕えるのはよくありません 。(使徒6:2)」そして、それらの仕事は、そのような賜物を与えられている人々に分担された
。
かといって、神の栄光は「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励む(使徒6:4)」ことに決めた使徒たちだけに現れたのではなかった
。食卓のことに責任をもつ人々の中から、最初の殉教者ステパノ(使徒7:59-60)や、エチオピヤの宦官をはじめ多くの人に福音を伝えたピリポ(使徒8:29-39)らが出てきた。彼らに共通していたのは、御霊に導かれていたことだった。教会で何を担当するか、どんな働きをするかは重要でない
。重要なのは御霊に与えられたものに忠実であること、そして御霊に導かれることだと感じた
。
集められた人のバックグラウンドも様々だ。十二使徒のように、最初からキリストと共に歩んだ者もいれば、パウロのように敵の立場にいた者もいる。異邦人であり、異教徒であり、キリストと何の共通点もないコルネリオ(使徒10:1)のような人たちも集められた
。
新しい人が来るたびに、信徒たちの間に波風が立ち、議論が巻き起こる
。しかし、多くの信徒たちの非難や心配から、パウロを助けたバルナバ(使徒9:26-27)や、コルネリオを擁護したペテロ(使徒11:1-18)のように、主はいつも理解者を送り、守ってくださった
。
自分も人も、それぞれ強みも弱みも持つ。しかし、その一人の持つ価値は、計り知れないほどに大きい
。
ああ主よ、私を最も愚かな者にしてください
。正しい者の座について、人を判断することのないよう守っていてください。私には見えている、私には分かっている、などと思うようなことがないように助けていてください。砕くべきは、この私の自我であり、人の弱さや欠点ではないことを悟らせてください
。何も知らない者として、ただ、あなたにだけ従っていけるようにしてください。
今晩の祈りは、この一点に集中された
。
主よ、感謝します。
神のみわざは進んでいく
。「こうして教会は 、ユダヤ 、ガリラヤ 、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち 、主を恐れかしこみ 、聖霊に励まされて前進し続けたので 、 信者の数がふえて行った 。(使徒9:31)」
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で完全に自由に歩もう
。
Jesus came as our Representative —our Substitute —and defeated Satan! Jesus didn’t do it for Himself; He did it for us! All that Jesus did belongs to us.