聖書通読26日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
Ⅱペテロ1-3章、ユダ、Ⅰヨハネ1-5章
信仰は、自分のたゆみない努力から生じるもの、、、ではないらしい
。自分の内側からかき集めてくるもの、、、でもないらしい
。
「イエス ・キリストのしもべであり使徒であるシモン ・ペテロから 、私たちの神であり救い主であるイエス ・キリストの義によって私たちと同じ 尊い信仰を受けた方々へ 。(Ⅱペテロ1:1)」
「尊い信仰を受けた方々へ」とある。私たちは自分から信仰するようになったのではなく、イエス様の義のゆえに、信仰を受け取ったのだ。「私たちと同じ」とある。ペテロもパウロも誰も彼も皆同じく、信仰を与えられたのだった
。信じることさえ、主がくださった
。
だから、私たちは誰も誇ることはできない
。
「あなたがたは 、恵みのゆえに 、信仰によって救われたのです 。それは 、自分自身から出たことではなく 、神からの賜物です 。 行いによるのではありません 。だれも誇ることのないためです 。(エペソ2:8-9)」
あ、でも、信仰を受けた後にはあらゆる努力も必要らしい
。
「こういうわけですから 、あなたがたは 、あらゆる努力をして 、信仰には徳を 、徳には知識を 、 知識には自制を 、自制には忍耐を 、忍耐には敬虔を 、 敬虔には兄弟愛を 、兄弟愛には愛を加えなさい 。(Ⅱペテロ1:5-7)」
主に信仰を与えられ一歩進み
、自分も努力して一歩進む
。足りなさを感じてまた主に頼り、信仰を注がれて一歩進み
、それに奮い立ってまた一歩進む
、そんな感じだろうか
。
そして、私たちは「しみも傷もない者として 、平安をもって御前に出られるように励(Ⅱペテロ3:14)」むのだ
。そうしてくださるのは主
。主は私たちを「つまずかないように守ることができ 、傷のない者として 、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方(ヤコブ24)」。
ああ、「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ 、聖霊によって祈り 、 神の愛のうちに自分自身を保ち 、永遠のいのちに至らせる 、私たちの主イエス ・キリストのあわれみを待ち望(ヤコブ20-21)」もう
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で完全に自由に歩もう
。
