聖書通読13日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
使徒3-12章
主に心を向けて、み言葉の前にへりくだり、祈りながら教えを乞う
。心静めて主のみ言葉を待ち望み、心にいただいたみ言葉をもってまた祈る
。導きの大きい時は大きいままに、困難がある時は淡々と。毎日毎日続けていけますように。
み言葉に対する飢え渇き、主への情熱は、主がくださるもの
。主よ、私たちに、もっともっと注いでください。もっともっと、私たちを引き寄せてください。
私たちが主に初めて心を向けた時、主が最初に私たちに求めたことは、私たちの努力や信仰ではなかった
。主が最初に求めたことは、私たちが「主の恵みを受け取ること」
。主がその祝福をくださったのは、私たちが悪から主に立ち返ってからではなかった。まず与えてくださったのだ
。
「神は 、まずそのしもべを立てて 、あなたがたにお遣わしになりました 。それは 、この方があなたがたを祝福して 、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです 。(使徒3:26)」
イエス様がくださった祝福は、「まぁ良いもの」でも「まぁまぁ良いもの」でもなく、それ以上がない、至極の祝福だった
。イエス様がくださった祝福は「永遠のいのち(ヨハネ17:2)」。私にそれが今日も見えているだろうか
。それが見えれば見えるほど、主との生活は躍動していく。恵みによって生きる者となる。おお主よ、私たちの目をもっともっと開いてください
。
私たちが歩むに必要なものも、私たちの力や信仰深さではなかった
。
奇跡に驚く人々にペテロは言う
。「なぜ 、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように 、私たちを見つめるのですか 。(使徒3:12)」
私たちに与えられたのは、全てに打ち勝たれたイエスの御名
。使徒たちはそれをもって歩んだ。
「このイエスの御名が 、その御名を信じる信仰のゆえに 、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです 。(使徒3:16)」
主は、かたよりなく人を愛される。安心していい。どの国にいようとも、どの教会に属そうと、どんな仕事をしていようと、そこでできることがある
。主に与えられた所で忠実であり続けられますように。
「神はかたよったことをなさらずどの国の人であっても 、神を恐れかしこみ 、正義を行う人なら 、神に受け入れられるのです 。(使徒10:35)」
神がそこに私たちを置き、願われていることがある
。百人隊長コルネリオは、異邦人でありながら、敬虔で、神を恐れかしこみ、施しをし、いつも神に祈る人だった(使徒10:2)。
ある日、彼のもとへ御使いが訪れる。 「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って 、覚えられています 。 (使徒10:4)」そして、聖霊の賜物が注がれる
(使徒10:45)。
私たちの祈りと施しも、神の前に立ち上り、確実に覚えられている。やがて、私たちの上にもさらなる聖霊と力が注がれよう。希望と忍耐をもって今日も祈る
。
「待ち望め 。主を 。雄々しくあれ 。心を強くせよ 。待ち望め 。主を 。(詩篇27:14)」
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で完全に自由に歩もう
。
I hide God’s words in the midst of my heart. They are life to me. They are medicine to my flesh!
