聖書通読9日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
ルカ21-24、ヨハネ1-3章
人が何かを語る時、その言葉の背後には、その人の実体、つまり霊がある
。言葉に乗って、霊が流れている
。それが主なる神から来ている霊か、そうでないものか、区別するようにと聖書は教える
(Ⅰヨハネ4:1)。
イエス様が語られたのは神のことば
。「神がお遣わしになった方は 、神のことばを話される 。神が御霊を無限に与えられるからである 。(ヨハネ3:34)」
そして、私たちも、神の霊によって語るよう命じられていた
。「どう弁明するかは 、あらかじめ考えないことに 、心を定めておきなさい 。どんな反対者も 、反論もできず 、反証もできないようなことばと知恵を 、わたしがあなたがたに与えます 。(ルカ21:14-15)」
自分の考えではなく、主の考えで思考し、言葉にすることができますように
!それは十分可能なのだ。私たちは神の子どもとされたから。
「この方を受け入れた人々 、すなわち 、その名を信じた人々には 、神の子どもとされる特権をお与えになった 。(ヨハネ1:12)」から。
そしてそれは肉によるものではなく、霊によるもの。「肉によって生まれた者は肉です 。御霊によって生まれた者は霊です 。ヨハネ(2:5-6)」
さらに主は約束してくださった
。御霊の力を着せてくださると
。「さあ 、わたしは 、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります 。あなたがたは 、いと高き所から力を着せられるまでは 、都にとどまっていなさい 。(ルカ24:49)」
神のみ言葉が内側から溢れ出すように、私たちは日々、器の内側を清めていよう
。日々、主の前にへりくだり、さばきの霊と焼き尽くす霊を受け守られよう
。主は昼も夜もしるしをくださり、守って下さろう
。
「主が 、さばきの霊と焼き尽くす霊によって 、シオンの娘たちの汚れを洗い 、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき 、 主は 、シオンの山のすべての場所とその会合の上に 、昼は雲 、夜は煙と燃える火の輝きを創造される 。(イザヤ4:4-5)」
やがて、私たちはこのような光景を目の当たりにする。「天が開けて 、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを (ヨハネ1:51)。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で完全に自由に歩もう
。
I am born of God. And by releasing my faith in words through my mouth, I overcome the world!
