聖書通読4日目。
今日もみ言葉で祈ろうニコニコ

マルコ1-8章

神の恵みの中に深まれば深まるほど、自分の内の対処されるべきところに気づくびっくり乙女のトキメキそれにより涙の悔い改めに導かれることがまた恵みだ。心の奥底から悔い改めた後は、主からの熱いものが流れ込む照れ雷

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。(マタイ6:33)」とあるから、神の義をずっとずっと求めて来たくちびるキラキラ。でも、それを得る上で、しなければならないことに気がついた。それは自分の義を捨てること。自分の義を握ったままでは「神様のために」と言いながら、み心に反することだってしかねないチュー。教会の力も弱体化する。

私は祈る中で、自分が人一倍「自分の義」を持っていることに気づいたびっくりハッ。人一倍悔い改めが必要なのだと分かった。
子供の頃、たくさんの本を読んだ。いろんなジャンルを読んだけれど、私が好きだったのは教訓を含む本だったゆめみる宝石乙女のトキメキ。物語の最後に「だから〜するんじゃありませんよ」とか、まとめがついてるのは特に好きだった。何か知恵を得たような得したようなそんな気分になっていた流れ星。道徳の時間も好きだった。そういう学びは自分を成長させてくれると思っていた。その後もたくさんの本を読み、話を聞き、「私の義」は着々と築かれていったキョロキョロ

しかし、「私の義」は不潔な着物だったガーン!私たちの義はみな、不潔な着物のようです。(イザヤ64:6)」

私の義」はよごれた服だったガーン!
「(祭司)ヨシュアは 、 よごれた服を着て 、御使いの前に立っていた 。 御使いは 、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った 。 『彼のよごれた服を脱がせよ 。 』そして彼はヨシュアに言った 。 『見よ 。わたしは 、あなたの不義を除いたあなたに礼服を着せよう 。 』(ゼカリヤ3:3-5)」

礼服はすなわち神の義雷。悔い改めによって、よごれた服を脱ぐならば、神は私たちに礼服を着せてくださり、神の義の外套をまとわせてくださるびっくりキラキラ。「主がわたしに 、救いの衣を着せ正義の外套をまとわせ 、花婿のように栄冠をかぶらせ 、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ 。 地が芽を出し 、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように 、 神である主がと賛美とを 、すべての国の前に芽ばえさせるからだ(イザヤ61:10)」

礼服、正義の外套は、結局のところキリスト爆笑雷。聖書は教える。「主イエス ・キリストを着なさい 。肉の欲のために心を用いてはいけません 。(ロマ13:14)」

主は、大した罪などないと思う私たちの目を開き、私たちの内なる罪過ちを示してくださるびっくりハッ。自分は罪人の中の罪人だったと悟らせてくださるのだ雷。その上で、こう言われる。 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく 、病人です 。わたしは正しい人を招くためではなく 、罪人を招くために来たのです (マルコ2:17) 」

私たちは招かれたのだびっくり。招かれ、受け取るものは何かびっくり?それは聖霊炎。バプテスマのヨハネが言った。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが 、その方(イエスキリスト)は 、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります (マルコ1:8)」

主よ、私たちのためにも、天使たちに命じてくださいチュー!!!「彼らのよごれた服を脱がせよ」と。いや、私たちが命じるのかな、イエスの御名で。「私のよごれた服を脱がせよ」と。そして、不義(自分の義)は取り除かれ、私たちはイエスキリスト(神の義)を着るそして、さらに、日々、聖霊によって力を着せられるのだびっくり炎

イエス様が言われた。「さあ 、わたしは 、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります 。あなたがたは 、いと高き所から力を着せられるまでは 、都にとどまっていなさい 。(ルカ24:49)」

だから、私は今日も悔い改めるもっと深くもっと深くと。こうして私はもっと気づいていく。私たち信じる者の受け取る恵みの大きさゆめみる宝石乙女のトキメキ

今日もみ言葉で祈ろうニコニコ
主の中で完全に自由に歩もう音符

I believe in success. I never talk doubt; I refuse to doubt. I never talk defeat; I don’t believe in defeat.