聖書通読72、73日目。
今日もみ言葉で祈ろう。
エレミヤ37-45、46-52、Ⅱ列王25
み言葉を読む時、耳に痛い内容であるほど、自分にとって大事なものかもしれない。はっとさせられたり、うっときたりするもの、それをこそ、大事にしたい。
主は言われる。「わたしの叱責に心を留めるなら 、今すぐ 、あなたがたにわたしの霊を注ぎ 、あなたがたにわたしのことばを知らせよう 。(箴言1:23)」アーメン!今すぐ主の霊を受け取ろう。
ユダ王国の王たちは、耳触りの良い、偽預言者の言葉だけを聞いた。エレミヤの伝える神のみ言葉に耳を傾けず、ゼデキヤ王の時代、ついにユダ王国は滅んでしまう。
エレミヤはゼデキヤ王に神のみ言葉を伝えた。「もし 、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら 、あなたのいのちは助かり 、この町も火で焼かれず 、あなたも 、あなたの家族も生きのびる 。(エレミヤ38:17) 」 そして降伏しない場合は、これと反対の悲惨なことが起こると。
悲しいことに、ゼデキヤは神のみ言葉よりも、自分の考えに従ってしまう。人々の報復を恐れたのだ(エレミヤ38:19)。「カルデヤ人が私を彼らの手に渡し 、彼らが私をなぶりものにするかもしれない 。(エレミヤ38:19)」と。
エレミヤは言った 。 「彼らはあなたを渡しません 。どうぞ 、主の声 、私があなたに語っていることに聞き従ってください 。そうすれば 、あなたはしあわせになり 、あなたのいのちは助かるのです 。 しかし 、もしあなたが降伏するのを拒むなら 、これが 、主の私に示されたみことばです。(38:20-21)」
「なんで、神のみ言葉より自分の考えを取るかなぁ」なんて思いそうになるが、それは私が渦中にいないから。ゼデキヤは自分の命がどうなるかわからない恐怖の中にいたのだ。自分を恨む同胞に何をされるかわからない、そんな不安の中にいた。見えない神の言葉より、自分の感覚の方がよっぽどリアルに感じられたことだろう。
考えてみたら、私も日常で、どれほど多くそんなことを繰り返しているだろう。しかも、そのほとんどは無自覚だ。自分の考え、感覚、感情はそれほどリアルだ。それより神のみ言葉を選びとろうとするなら、絶対に信仰を働かせることが必要だ。恐れは神から来るものではない。恐れは敵が送り込んで来るものだ。それを見抜いて、パワフルな祈りで打ち破っていくことが大事だと感じた。
私も今日、叫び祈る。恐れの奴隷になるのでなく、「み言葉を悟る知恵、み言葉に従う力をください!!!」と。
今日もみ言葉で祈ろう。
主の中で本当の自由を味わおう。
Fear is from the enemy. Don’t give Satan dominion over us. We have Holy Spirit within us. When we confess it, then the Holy Spirit will begin to dominate us.