聖書通読28日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
士師記8-16章
ここを読むと、ギデオンが主に用いられる者、使命(destiny)をつかんだ者であることが分かる
。
destinyに生きる者にとって、自分が手柄を立てることや、脚光を浴びることはどうでもいい
。そこには焦点が置かれていない。彼の一番の関心は、神の計画が進んでいるかどうかだ
。
だから、仲間のエフライム人から「なぜ自分たちに声をかけなかったのか!」と文句を言われても、相手に花を持たせ、怒りを和らげ、知恵をもって切り抜ける
。
ギデオンはマナセ族の出身(士師6:15)。エフライム人は共にヨセフから出た子孫で、イスラエル12 部族の中でも、最も近い間柄だ。主に託され、敵との戦いで命をかけているその時に、身内からのクレームは辛い
。
「そのとき、エフライム人はギデオンに言った。『あなたは 、私たちに何ということをしたのですか 。ミデヤン人と戦いに行ったとき 、私たちに呼びかけなかったとは 。 』こうして彼らはギデオンを激しく責めた 。(士師8:1)」
その怒りは、もしかしたらエフライム人のプライド
?野心
? 分からないけれど、ギデオンはそれを指摘することなく、また自分を弁解することもなく、むしろ、相手の働きを賞賛する
。
「あなたがたに比べたら 、私に何ができたのでしょう 。(士師記8:3)」自分の働きよりも、相手の働きの方が大きいと言っているのだ
。「そのとき彼らの怒りは和らいだ。(士師記8:3)」
ギデオンが主に用いられていたことを見ると、このような相手へのねぎらい、賞賛は、口先だけの、その場しのぎのものではなかったと思う
。これは私の想像だけれど、ギデオンは「弱さを持つ仲間の怒りを静めるため、おだててその場を取り繕った」のではなく、その言葉には、本当に相手への敬意が込められていたのではないかと感じる
。
神の御心に触れる時、自分が何をも持たない弱い存在であることを悟る。しかし、主にあっては自分の価値がどれほど大きいのかを知らされる
。そしてそれは同時に、周りの全ての人もまた計り知れない価値を持つという確信へとつながっていく
。
仲間の存在の大きさをギデオンは知っていた
。1人では何もできないことを、彼は知っていた。自分にないものを仲間に見たり、実際何かを助けられたり、いろいろな悟りがあったはずだ。人はそれぞれに弱さも持つけれど、誰にも負けない秀でたところも与えられている
。
何よりもすごいのは、今、私たち、主を信じる者は、内なる聖霊によって、自分の存在の根本から変えられているということだ
。浅はかだった自分は過去のものとなり、自分に焦点を当てた生き方から、神に焦点を当てた生き方へ
。
弱いギデオンも変えられた。私たちも日々、本当に日々、変えられているのだ
。
人を賞賛することは、自分が祝福を受ける道
。しかし、人から賞賛されることには、最大級の警戒が必要なことを聖書は教える
。
素晴らしい働きをしたギデオンは、たくさんの尊敬と賞賛を浴びたが、主への心を忘れなかった。だからこそ、「私たちを治めてください(士師8:22)」という民に「私はあなたがたを治めません。(士師8:23)」「主があなたがたを治められます。(士師8:23)」と言ったのだ
。
しかし、受ける尊敬と賞賛があまりに大きかったか、これくらいはいいだろうと思ったか、人々から集めた金で祭司の着るエポデを作ってしまった
。結果的に人々はそれを拝みだし、「それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。(士師8:27)」
人がほめてくれることは嬉しい。力を与えられる。心から感謝し、相手への祝福を祈ろう
。しかし、同時にそれは、ますます神の前にひれ伏す心を深める時だ
。
「私ではありません。主がされました。私はそのことを知っています。そのことを知って今、御前にひれ伏します。両手を上げて主を褒め称えます。あなただけ、あなただけ、あなただけを慕い求めます。」
どれだけ自分が変えられたとしても、朝に晩に悔い改めの祈りを捧げ続けよう。何が御心で、何が御心でないのかをしっかり心に刻み込もう。そして、安心して主と共に生きる道を楽しもう
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の臨在の内に歩もう
。
“Thank God, the Greater One is in me” (1 John 4: 4).
