聖書通読17日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
民数記13-19章
英語圏の人と話すには、英語の単語や表現を学ぶことが必要だ
。それと同様に、神様と話すには、神様の言葉や表現を知ることが欠かせない
。これだけでも、聖書のみ言葉を読むことの意義を見いだせる。自分の中にみ言葉が蓄えられるほど、神の御声を聞けるようになる。私の体験は、まだ浅くて、とても限られた範囲だけれど、それでも、そのことを実感する。これは本当にすごいことだ
!
ヨシュアとカレブも主の御声を聞いていた
。人々が恐れと不信に陥った時も、それは変わらなかった。
神が約束されたカナンの地を探った12人のうち、彼ら以外の10人はイスラエルの民の不安をあおる報告をした
。主が示される地は、確かに乳と蜜の流れる地だけれども、恐ろしく力が強くて、大きな人たちが住んでいると(民数13:28)。そして、自分たちの手にはとても負えないことを伝えていく
。
これで民は大騒ぎになる
。神が自分たちをそんなところに連れて行こうとしたのか
。
「全会衆は大声をあげて叫び 、民はその夜 、泣き明かした 。(民数14:1)」
全会衆は恐怖と不信に包まれた。その恐怖は、モーセとアロンへの強い反発を起こし、非難の声となって表れた。挙げ句の果てには、今までの神の導きさえ、否定するようなことを言い始めた
。
「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに 。できれば 、この荒野で死んだほうがましだ 。(民数14:2)」
しかし、「カレブは 、ほかの者と違った心を持って(民数14:24)」いた。神のみ言葉の上に固く立ち、神に従い通した
。
「カレブがモ ーセの前で 、民を静めて言った 。 『私たちはぜひとも 、上って行って 、そこを占領しよう 。必ずそれができるから 。 』(民数13:30)」
人々の不安や恐怖の中でも、彼らは堂々と語った
。
「ただ 、主にそむいてはならない 。その地の人々を恐れてはならない 。彼らは私たちのえじきとなるからだ 。彼らの守りは 、彼らから取り去られている 。しかし主が私たちとともにおられるのだ 。彼らを恐れてはならない。(民数14:9)」
結局、約束の地に入ることができたのは、神の御声に聞き従ったヨシュアとカレブだけだった。
神の声は私たちに力を与える
。神が生きて働くことをわからせてくださる。
人が語る言葉には、その人の思想が溶け込んでいる
。さまざまな考え、感情、感覚が溶け込んでいる。
しかし、神の言葉には神の思想、神の心、神の愛が溶け込んでいる
。そして、神の知恵と、神の力が溶け込んでいる。
だから、神の言葉が私たちにとどまると、そこに含まれていた、あらゆる創造の力が、私たちの内で溶け出し、生きて働くのだ
。その力によって、私たちは日々、新たに造られていく。
そして、私たち信じる者の口には、神がその時必要な言葉を乗せてくださる
。口に置かれた言葉を持って、目の前の人に仕えよう。神によって与えられた言葉は、たとえ小さなものであったとしても、人の方向性を大きく変えてしまう力を持つ
。
「わたしは生きている 。わたしは必ずあなたがたに 、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう 。(民数14:28)」
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の臨在の内に歩もう
。
All that Jesus is by inheritance is in that Name!
