聖書通読2日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
創世記10-17章
「新年の抱負」に、語学の習得を掲げる人も多い。しかし、人はもともと皆、同じことばを使って通じ合っていたという
。
「さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。(創世記11:1)」
しかし、罪を犯し神から離れた人間は、ますます高慢になる。主の御名を求めるよりも、自分の名を高めることを追い求めるようになった
。バベルの塔の一件である。人々は言った。
「さあ 、われわれは町を建て 、頂が天に届く塔を建て 、名をあげよう 。われわれが全地に散らされるといけないから 。(創世記11:4) 」
それは神のご計画に沿う道ではなかった
(ということは人が幸せに向かう道でも決してない)。だから、主はそれを阻止するため介入された
。
「さあ 、降りて行って 、そこでの彼らのことばを混乱させ 、彼らが互いにことばが通じないようにしよう 。 (創世記11:7)」
おかげで今、私たちは外国語の習得に苦労している
。
でも、今日思った
。神のご計画に反することを人がする時、ことばが通じ合わないようにする神は、神のご計画に沿うことを私たちがしようとする時、必ずことばが通じ合うようにしてくださると
!
主は言われた。
「もし 、あなたが 、卑しいことではなく 、尊いことを言うなら 、あなたはわたしの口のようになる 。(エレミヤ15:19)」
神の口はあらゆる人に通じていく口
。
「神である主は 、私に弟子の舌を与え 、疲れた者をことばで励ますことを教え 、朝ごとに 、私を呼びさまし 、私の耳を開かせて 、私が弟子のように聞くようにされる 。 (イザヤ50:4)」
アーメン
!!!ことばを持って、何を語るかが重要だ。それをもって、何をするか。
私も昔、英語を一生懸命勉強していた時があった。しかし、実際のところ、英語を使って私が本当にしたいことをつかめずにいた
。それで、「上には上がいるし、まぁ英語で勝負しなくてもいいかな」、なんて英語から離れていた
。
でも、主は私をクリスチャンにする直前、私の人生に介入され、私に再び英語とのつながりを持たせるのだ。それは細いつながりだけれど、私にとって無理のない、ありがたいものだった。本当に不思議だ
。このことはまたいつか書きたい。
というわけで、2018年は英語も始動。あ、いや、ほんのちょこっとずつ
。だいぶ前に牧師先生が紹介してくださった、Hagin先生の”Faith Food Devotions”を、(できる範囲で)読み進め、ピンと来た宣言があれば1行だけ入れようと思う
。
2018年、神のご計画に沿うことを私たちが選んでいけますように。私たちの願いが、神の願いを行うことであることを日々確認できますように
。神のご計画に必要なら、そのための力は必ず与えられる
。
主と手をつなぎながら、気負いなく、面白く、心に示されたことを伸びやかに、ぐんぐんやっていけますように
!
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の臨在の内に歩もう
。
I will find out what God’s Word says, and I will act on it.
