通読準備7日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
次の通読は2018年1月2日から
2017年最後の7日間を準備期間とした。
今日が最終日
!
「主は2017年最後の今日、私にどんなことを語ってくださるだろう。」そんなことを思いながら今日の一日を過ごした。親戚を訪ねたり、町を歩いたり、カフェに入ったり、娘とふざけたりしながらも、このことを問い続けていた
。
私の心に一日留まり続けたのは、ダニエルの祈り
。ダニエルは「エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であること(ダニエル9:2)」をみ言葉(エレミヤ書)によって悟ると、主の前に徹底的な悔い改めに入る(ダニエル9:3)
。
それは個人のレベルの悔い改めを超えた、国と民族のための悔い改めだった
。
「私たち」が主の御声に聞き従わなかった。「私たち」は不義から立ち返って真理を悟れるよう願いもしなかった(ダニエル9:13)。そう告白する
。
今日はこのことをそのまま祈らされた
。個人のレベルの悔い改めが深くなるほど、自分が罪人の代表になれる。最も罪ある者として(あるいは最も罪を自覚する者として)、「私たち」のための悔い改めができる
。そう感じている。
島根から鳥取、岡山、兵庫と、車を走らせながら、祈ったり賛美したりしていた。「主よ、私の2017年の全ての過ちを悔い改めます。私の気づいていない高ぶりをこの涙で全部崩して粉々にして捧げます。知らずに傲慢になることが怖いです。あなたの意に反して間違ってしまうことを恐れます。」泣きながら主にすがった
。そして、「私たち」のための祈りをした
。
悔い改めの祈りが終わった後、主が心に語ってくださった
。「わたしはあなたに一粒の悲しみがあることも許さない。わたしはあなたにひとかけらの痛みが残ることも許さない。その全てを取り去る。その全てを燃やし尽くす。あなたはわたしのものだ。あなたはわたしのものだ。あなたはわたしのものだ。」私はたくさん泣いた
。
主は私たちを燃えるように愛されている
。
主人も娘も寝静まり、一人ミッドナイトドライブ。とても不思議だった。私がハンドルを握っているのだけど、主が握っている。私が目で見ているのだけど、主が私の目を通して見ている。とても不思議な感覚だった。あぁ、こうして、いつも主が、私の人生のハンドルを握ってくださっているのだ、そう実感した
。
そして、私のために、「私たち」のために、祈ってくれている、多くの方々に感謝した。
今日もみ言葉で祈ろう
。
今日も主と共に行こう
。
あ、通読スタートは2018年1月2日からだった。明日も準備できる〜。嬉しい〜
。
