聖書通読75日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
歴代誌1-9章
はい、カタカナ砂漠を歩きましたよ🐫🐫🐫。
っていうくらい1章から9章まで見事なカタカナ率の高さ
。アダムから始まる系図が並び、延々とカタカナの名前が並ぶ。カラカラになって干からびそうなところでオアシス発見
。
それはヤベツのところ
。
。ヤベツは母の悲しみの中で生まれた
(Ⅰ歴代4:9)。そして、その悲しみは名前に刻まれた。えー?そんな刻印を押されちゃって人生をスタートしたの
?
日本語だったら、「秀樹ヒデキ」って名付けるところを「悲劇ヒゲキ」ってつけられたり、「大樹ダイキ」くんじゃなくて、「大悲ダイヒ」くんって呼ばれたり、「美和ミワ」ちゃんじゃなくて「悲話ヒワ」ちゃんとか
? それを生まれてからずっと浴び続けるって想像したら、オーノー
。
それにも関わらず、「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた(Ⅰ歴代4:9)」
。
これは悲しみ、苦しみ、迷いが、神と共に歩む私たちを決して縛らないことを意味する
。育った家庭の背景、自分の境遇、こんな目にあったことも、あんな目にあったことも、キリストにあるなら全て、主と親密になる要素となりうるのだ
。もし、私たちがそれを選択するならば
。
ヤベツの祈りは率直だ
。主への信頼、主との親密さが感じられる
。
「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。(Ⅰ歴代4:10)」
主は良き方、愛の方。そこに頼る私たちの願いを叶えてくださる
。ヤベツの祈りも聞かれた。「そこで神は彼の願ったことをかなえられた。(Ⅰ歴代4:1)」
昨日の聖書講座で十戒のことを聞いて、なるほど!と思うことがあった
。
十戒はほとんどが「〜してはいけない」という禁止事項だ
。「〜せよ」は最低限にとどまる。それで分かることは、神様は禁止事項だけしっかり私たちに教え、それ以外は私たちにほとんどの部分を任せてくださっているということだ
。そこには限りなく自由な世界が広がっている
。「実に神は恵み深い神なのです」という言葉にハッとした
。今までそのことに気づかなかった。神は私たちの心の願いを大事にしてくださるのだ
。
その願いも聖霊によって、思い起こさせてくださる
。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて、志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。(ピリピ2:13)」
そして、祈りに「願い」を用いよと言われる
。「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。(エペソ6:18)」
ああ、神は恵み深い神なのだ
。
私を愛される主、私たち一人一人を大事にしてくださる主をほめたたえよう
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
