聖書通読74日目。
私に何ができるだろう。できることを探していくなら、主ができる範囲を広げてくださる
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
哀歌1-5章、オバデヤ1章
聖書の中で一番短い書物、オバデヤ書では、エドム人の話が出て来る
。エドム人とは、どのような人々だろう?
それは、双子の兄弟ヤコブとエサウの時代にさかのぼる
。ヤコブの子孫がイスラエル人となり、エサウの子孫がエドム人に。イスラエル人とエドム人は長年、敵対関係にあった
。エドム人はいつも、他の民がイスラエル人を攻撃することに加担する
。バビロンがユダ王国を攻撃した時もそれは同じだった
。
「他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。(オバデヤ1:11-12)」
私はどうだろう
?
同時代を生きている人たちを、どんな目で見ているだろう? 救いを待つ多くの魂がある
。いろいろな悩みをかかえて、あるいは悩みがあるのも分からずに、心の内で叫んでいる
。その叫びを「知らぬ顔で立って」いないか。「ただ、ながめて」はいないか。
ここで、心を重くしてはいけない
。どんな時にもできることがあるのだから
。主に導かれ歩む道は楽しい道
。
主よ、あなたの愛を注いでください
。あなたの心を注いでください
。あらゆることをあなたの愛から始めさせてください
。
①祈ることができる。
②人に親切にできる。愛することができる。
③自分をみ言葉によって育てることができる。
④善なる行いをすることができる。
⑤満ち足りた心を備えることができる
⑥神のみ言葉を伝えることができる。
「主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。(オバデヤ1:15)」
エドム人たちは自分たちがしたように、自分たちもバビロンによって滅ぼされてしまった
。自分がしたように、自分にもされるようになっている
。
私も皆さんも神の愛、恵みと憐れみを流す管となれるよう、イエスの御名で祈ります
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
