聖書通読90日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
ゼカリヤ1-14章
一昨日、大好きな祖母が亡くなった
。98歳までは一緒に旅行もしていたが、その後少しずつ痴呆が進んだ
。
私がクリスチャンになったのは、祖母が100歳を越えようとする頃
。祖母に何をしてあげられるかをいつも考えていた
。祖母のもとへ足繁く通った。
でも、み言葉を学ぶうちに、祈るうちに、私が何をするかよりも、主が何をされるかの方がよっぽど大事だと感じるようになった
。それで私は「主との関係」を築くことを最優先するようになり、祖母の所へなかなか行けなくなっていた
。
たまにしか行けないにも関わらず、会った時の密度は前よりとても濃いものだった。全て主がくださる恵みだったと感じている
。
祖母に会う時、私にできることは、タイミングを見計らって、イエス様のことを少し話したり、賛美を歌ったりする程度だったが、ある時、イエス様の絵を見せて「イエス様は救い主なんだよ」と言うと、「そういうことを信じる人もいるよね」と言っていた
。それで「おばあちゃんは信じる?」と聞いてみると、驚いたことに真顔で「信じるよ」と大きな声で言ったのだ
。痴呆と現実の狭間でその言葉の真意は分からなかったが、私はその言葉をつかんでとりなしの祈りをすることにした
。
そして、一昨日、本当に久しぶりに祖母を訪れた。穏やかな表情で眠る祖母の耳元で「イエス様だよ!イエス様を信じるんだよ!」と大きな声でささやいた
。そして、主の御手に委ねる祈りをした。心から主に信頼した
。
その数時間後、祖母が静かに亡くなったことを聞いた
。まさかその日とは誰も思っていなかったので、驚きだったが、私の心は完全に主への信頼と感謝で満たされていた
。
そうか、こうやって歩んで行けばいい。主との関係、これが全て。重荷を降ろせとはこういうこと。私の浅知恵ですることより、主から来る、完全な知恵に教えられる方がはるかにいい
。
主よ、感謝します。全てを御手に委ねます
。あなたに示されたことをやっていきます。あなたのご計画を喜び楽しみます
。
明日も期待します。
読んでくださった方の未来も、主にあって大きく開けますよう
!
今日もみ言葉で祈ろう
。
