今日、このタイトルの本が届いた。

筆者はお笑い芸人(過去形?)の山田ルイ53世。

先日、大竹まことのゴールデンラジオというのを聞いていた時に本人が出演して紹介していたのでアマゾンで買った。

ラジオ番組の中でルイ53世が、世の中には夢を持ってないとおかしい、みたいな風潮が存在してるけどそういうのが無い人もたくさんいる、友情は夕暮れ時の河川敷で大声で叫んでその後草の上に寝転んで笑いあう、みたいなのではなくて足湯ぐらいでいいなどと語った。

また、SNSなどで披露されているキラキラした人生はモデルルームと同じ、誰もそこには住んでいないという話もしていた。

今日、夕方独りで少し読んでみた。

泣けた。

こういうのに誰もが共感するとは思わないが、今の自分にはこういった考え方も必要だと思った。

私自身もいつの間にかキラキラしたものを追っていたかもしれない。

若いころのように自分が有名になるんだとかひとかどの人物になるんだというのとは違うけど、もっと控えめに、何かのショップとか開いてそれでまあまあうまくいって、客からも必要とされて充実した日々を送る、みたいなことを考えるようになっていた。

けどそれもある意味キラキラした人生の一種だなと痛感した。

私が時々買っている、バリ島にあるアクセサリーショップの店主の日本人女性のように、現地人の職人と結婚して(私は結婚願望は無いが)店を開いてそれがけっこううまくいってる、というような第二の成功者みたいな人生にも憧れはあるけど、全ての人がそれでうまくいくわけではない。

スピ系のブログとかでよくあるのが、私は前は不幸だったけどスピをやるようになってからこんなにキラキラした毎日を送ってます、みたいなやつ。

私もスピにはまりだした頃はそういうのを真に受けて自分もそうなりたいとか思っていたけど、一体どこまでが真実なのかわからないことが多いように感じる。

また、前にも書いたぼったくりおばさんはパワーストーンとか天珠でこんなにいいことありましたとかよく書いてたけど、今はいろいろな臓器がだめになってきて入退院を繰り返しているようだ。年齢は写真や動画を見る限りでは50~60代と思われる。

確かに最近私が買った天珠で(ぼったくりおばさんから買ったのではなく別の店から買った)悪かった状況が好転して驚いたことがあったが、おばさんはダキニ天(お稲荷さん)とか聖天とかヤバめの神様を祀っていたことなどもあり、寿命が減ってしまったのかもしれないとも思う。

そういった神様は現世利益を叶えてくれる代わりに代償を取る。

如来や菩薩はバチも当てない代わりに願いもきいてくれないと云われているそうだ。

そういうのを見たり読んだりしているうちに、私もいつの間にかキラキラしたものを追っていたのだと思う。

この本を読んで目が覚めたような気がするのと同時に、自分がほっとできるものはそういう、キラキラとは違う所にあるのだと気付いた。

夕方庭に出て、少しずつ暮れていく空の色や周りの景色、そういうところに自分のほっとできるもの、長い間求めていた何かがあるような気がした。