数日前、友人から難題を突き付けられました。
「離れて暮らす子どもが親に会いたいと思う理由とは?」
「合理的な理由とは?」
親子の愛情を説明する『合理的』な理由ってあるのかな?
そもそも人の感情を説明するのに、
『合理的』と言われても、
子どもとの面会交流調停や審判で
親子の面会を求めるにあたって、
合理的な理由を求められることが不思議で仕方ありません。
円周率が割り切れないことに合理的な理由が求められるのかな。
すべての事象に合理的な理由が存在するのかな?
科学で説明できないこともあるじゃないかな。
司法村の人々は、不思議な人たちです。
目は上について、
判例という物差しを脇に置き、
どれ一つとして同じパターンなどないのに、
膨大な時間をかけて、
親子の時間を無駄に浪費させ、葛藤を高めて、
挙句の果てに、
寸法違いの物差しを当てて諮った結論を持ってきます。
どうやら、それが『合理的』なことらしい。
訴えに対して『合理的』なのではなく、
司法村の人々の作業的に『合理的』なだけではないかと。
寸法違いは、司法村の人々にとって他人事でしかなく、
一般的に、職業人としてその職責に反していると思われることでも
司法村内では、責められることもない・・・。
話を戻すと、
親が子どもに会いたい、子どもが親に会いたいと思う感情を
合理的に説明することができる人はいるのでしょうか?
どう言葉をつなげても、それは蛇足でしかなく
親子の「愛」「情」だからとしか説明しようがないのではないでしょうか。
まあ、ここ数日こんなこと考えてました(笑)
で、今日は@宮崎<交流会>です。
誰でもお越しいただけます。
心に溜めた思いを吐き出す場としての<交流会>
情報交換の場としての<交流会>
人と人が「親子の絆」をテーマに語らう場としての<交流会>
懇親会前の<交流会>(笑)
まあ、それぞれですが(笑)
@宮崎、@鹿児島、@別府、
九州3市では定期的な交流会を行っています。
お気軽にご参加ください。(*^_^*)