職場の人の引っ越し準備を手伝ってきた。

ご家庭の事情で母親と家を出て新生活スタートなのだと。

円満なのかな、と思っていた。
が、どうやら違うようでアセアセ


ご家庭の事情をちらっと話を聞いて、ふと思った。

なんだかんだ文句はあるけど、私は父も母も弟も、私にとっては大事な家族で、安心できる場所でもあるんだと。



祖母が生きていた時は、嫁(母)いびりがひどかった。
認知症だったのだけど、当時はまだあまり認知されていなかったような感じだったのかな。

祖母にとって、父は可愛い息子。
そして、私のことは娘だと思っていた。
祖母にとっての母は息子も娘も、家のものも盗る悪い人。
親戚や近所の人たちにも、そう言いふらしていた。
周りもそれを信じてしまった。


弟が母のお腹にいる時に、母は耐えきれずに遠く離れた実家に戻った事があった。
私も連れて。
黙って逃げてきたらしい。

離婚したい、と。
母は、自分の母にそう伝えたらしい。
(母方の)祖母は、なみにも弟にも父親が必要、あなたが我慢しなさい。
そう伝えたのだそう。


生まれてきてしまったことを申し訳なく思ったな。
今はそんなことないけど。
うーん…ちょっとは考えることあるか。
私がいなければこの人の人生はどうだったのかな、とか。
ま、別の人のところで同じようなことになっていたかもしんないけどね。
養ってもらうために結婚を考え続けていたら、きっと同じだった、私がいようがいまいが。

母は、離婚しないで、この生活を続けることを選んだ。
っていう事実。


いつの記憶なのか、はっきり覚えていないけど、
一番最初の母親の記憶は、祖母にいじめられて泣いている姿。
ごめんね、ごめんね、と泣いている。

どこか痛いの?と私は聞いていたけど、本当は何で泣いているのか、ちゃんと理解していた。
2〜3歳くらいだったと思うけど、子どもってちゃんと状況わかるんだよねって思う。
無邪気なふりをするのも得意だよ。
どうしたら大人が喜ぶのかも知っている。

だから、どうしたら祖母から母を守れるかも子どもながらに気づいていた。
祖母の機嫌を取れば、気を逸らせる。
ま、ただ、楽しそうに遊んでいたらいいし、母のいない部屋へ連れて行ったりするだけだけどね。


でも、それで全て守れることもなく。

父もしんどかったんじゃないかな。
板挟み状態だったし。
強く文句を言える人でもない。
だから溜め込んだのだろうし。


娘にも気を遣っていたのかもしれない。
父は、弟が生まれたことで、私がさみしい思いをしないようにと、アイスクリーム食べに連れ出したり、ミニ動物と遊具のあるこどもの国に行ったりした。
父との記憶は、地元のおいしい洋菓子店のアイスクリームが強め…笑


父も母も、色々我慢してきた。
いらん気を遣っていたようにも見えるし。
なんなら弟も謎に我慢症&気遣い症。

そんな両親を見て、離婚したらいいのにと思うこともあったけど、
私はこの家族がバラバラになるのは嫌だと思っていた。

いびつだとしても、
嫌気がさしてしまうことがあっても、
幸せな時間は確かにあって。
帰ってきて安心する家はそこにあって。
一人暮らしになった今でも、お盆や年末年始、ふとした時に帰ろうと、帰りたいと思う。



私がいなれければ、この人達の人生はどう変わっていただろう。
そんなことをちょっとでも思うのは、もうおしまいだな。


私はこの両親を選んだ。
どうしたって、あの人たちにの人生に私のいない人生なんて選択肢はない笑い泣き



両親が離婚しないで一緒にいてくれて良かった。
この家族で良かった。



そんなことに気づいた桃の節句。



菱餅と桜餅。
みんな食べていいよ〜


今日の主役は、多めにどうぞ雛人形




99歩めあしあと