チューリップ | リハビリスト波平の日記

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「リハビリスト」は「リハビリに励む人」という自作英語です。Yahooブログから越して来ました。俳句やエッセイその他、お暇な方、是非お来しください。

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チューリップを詠んだ名句を知らない。辛うじて記憶にあるのは細見綾子の「チューリップ喜びだけを待つてゐる」くらいだろうか。当初、赤白黄色色とりどりに咲いているチューリップは幸せな色で満たされていると読んだ。しかしこの読みで良いのだろうかと、疑問が湧いて、ネットの「増殖する俳句歳時記」を読んでみました。

季語「チューリップ」に名句なし。そう思っている。日本人好みの微妙な陰影が感じられない花だからだ。造花に近い感じがする。掲句は、そんなチューリップの特長を逆手に取っている。自註に曰く。「春咲く花はみな明るいけれども、中でもチューリップは明るい。少しも陰影を伴わない。喜びだけを持っている。そういう姿である。人間世界では喜びは深い陰影を背負うことが多くて、谷間の稀れな日ざしのようなものだと私は考えているのだが、チューリップはちがう。曽て暗さを知らないものである。喜びそのもの、露わにもそうである。私はこの花が咲くと、胸襟を開く思いがする。わが陰影の中にチューリップの喜びが灯る」。

折しも、我が家の近くにある小学校のチューリップが満開だ。保育園や幼稚園にも、この花が多く植えられるのは、まだ人生の翳りを知らない子供たちによく似合うからだろうか。そう言えば、高校や大学ではあまり見かけない花だ。ところで、大人である掲句の作者はチューリップに「胸襟を開く思いがする」と述べている。ということは、むろん日ごろの心は鬱屈しているというわけだ。花そのものに陰影がないからこそ、花と作者との間に陰影が生まれた。名句とは思わないが、この着眼は捨てがたい。『桃は八重』(1942)所収。(清水哲男)


なるほどチューリップは小学校の低学年には似合うだろうが、小学校の5、6年生から、中学生、況してや高校生ともなれば花壇に植えられることもないだろう。なるほど「花と作者との間の陰影ですか!さすがは清水哲夫さんの「増殖する俳句歳時記」ですね、つくづくと休刊が悔やまれます。。

ほかにも次のようなチューリップの名句・佳句があることを知りました(^^♪



チューリップの花には侏儒が棲むと思う  松本たかし
  侏儒≒小人、見識の無い人 「侏儒の言葉」は芥川の箴言集

遠山に雪のまだありチユーリツプ    高田風人子
  雪国・山国では良くありそうな景色ですね

カフェテリア窓の木靴にチューリップ   津田京子
  チューリップで有名なのはオランダでしょう♪



【汗駄句駄句】


紫の色もありけりチューリップ


送迎や花に徐行の介護バス


口々に漏るる嘆声花吹雪


一ひらは鯉の口にも桜散る


花屑の吸ひこまれしは鯉の口


花冷や喪服の肩に清め塩


大方の妻は長生き諸葛菜


色町のありしこの道春の泥