もういちど読む山川世界史

  野澤 伸平  投稿日:2012年 5月15日(火)22時35分33秒
 
   世界史の勉強をしてみたいと感じたのは、歴史は繰り返すという言葉を古市幸雄氏から何度も訴えられ、鮒谷周二氏からも歴史を学ぶことは無用の用であるが非常に意味があるとすすめらたためである。

 以下に、時代ごとに、今思う歴史上のポイントを列記しておく。

「いったん立ち止まって過去を振り返り、その成果や問題点を整理し、将来の見取り図を描いてみることは決して無駄な作業ではない。

(文明の起源)
・最古の人類が出現したのは500万年前のアフリカであった。現生人類は約4万年前に出現し、1万年前から犬の家畜化がはじまった。

(古代)
・エジプトは前6世紀まで王朝の交代を繰り返しながらも、ファラオ(王)の支配が続いた。ピラミッドは王墓でオリエント専制支配の象徴とされてきた。
(ユダヤ人の歴史)
・第二次世界大戦後、イスラエル建国となったが、それが7世紀以降パレスチナに住み続けたアラブ人を排除する結果をともなった為、現在に至るアラブとイスラエルの尖鋭な対立の原因となった。
(キリスト教の成立)
・イエスはユダヤ教の形式化と堕落を厳しく批判。ユダヤ教の指導者たちは、イエスを捉えてさばき、ローマ人の総督にイエスを処刑させた。
・4世紀末、ローマ帝国は正しい系統のキリスト教を国教として他の宗教を禁じたため、キリスト教はヨ-ロッパ成果の統一的宗教となった。
(仏教の開祖)
・ヒマラヤ山麓の王族としてうまれたガウタマは35歳の時、ブッダーガヤの菩提樹の下で悟りをひらいた。それ以後、ブッダ(悟りをひらいた人)と尊称されるようになった。
(ヒンズー教)
・ヒンズー教はインド人の80%以上、9億人を超える民族宗教。まつる神は多種多様で、最高位にあるのが、シヴァ神とヴィシュヌ神

(中世)
・科挙(かきょ)は学科試験によって官吏を採用する」制度。科挙制度は清末の20世紀初めまで1,300年続いた。
・中国は宋代に朱子が朱子学を大成した。儒教の神髄を求めて、四書「大学」「中庸」「論語」「孟子」を重んじた。
(モンゴル帝国の成立)
・1206年、チンギス・ハン(テムジン)が高原を統一しモンゴル(蒙古)帝国を立てた。
・元は2度、日本に遠征したが元寇(蒙古襲来)は失敗している。
(マルコ・ポーロ)
・イタリア人のマルコ・ポーロは、約17年間中国に滞在し、その間に中国各地を旅行した。
 戦争に参加して捉えられ、獄中で物語作家に自分の見聞談を筆記させた。その旅行記が東方見聞録である。
(朝鮮)
・李朝は明の属国となり朱子学を国教とした。15世紀には全盛期を迎え、朝鮮文字(ハングル)がつくられた。(これが最も新しい文字である)
(ムハンマド)
・イスラム教の預言者ムハンマドは、40歳になるころ(610年ころ)、異常な宗教的体験の結果自らを唯一神アッラーの預言者と自覚するようになった。他の大宗教の開祖と異なり、最後まで1人の生身の人間でもあった。
・ムハンマドの死後、イスラム教徒(ムスリム)は全員で新しい指導者を選んだ。この指導者をカリフと呼ぶ。
(イスラム教徒(ムスリム)の信仰と生活
・イスラム教徒の生活全般を律するのがイスラム法(シャーリア)である。1日に5回の信仰告白と礼拝を聖地メッカの方角に向かって行う。
(シーア派とスンニ派)
・イスラム教徒(ムスリム)の9割はスンニ派である。シーア派は9世紀の後半に姿を隠した12代目の最高指揮者がいつかふたたびこの世に現れると信じられている。この指導者が隠れている間は、徳が高く、学識豊かな法学者・宗教学者がその権限を代行するとされている。
 1979年の革命以後、ホメイニ氏をはじめとする法学者・宗教学者が大きな権限をもつのはそのため。
(十字軍とその影響)
・十字軍は中世ヨーロッパの主にカトリック教会の諸侯が聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のこと。実際には戦勝利益の為の行動もあった。
(ジャンヌ・ダルク)
・ジャンヌは信仰心の強い少女で13歳のころから「フランスを救え」という神のお告げを聞いたと信じていた。イギリス軍は魔女裁判にかけ、1431年に火刑に処した。ジャンヌ・ダルクを有名にしたのはナポレオンが当時にたとえ、自分の活動を正当化したためである。以後、愛国の乙女として、ジャンヌ・ダルクはフランス人の敬愛を一心に集めた。

(近代)
(インド航路の開拓~アメリカ大陸へ)
・ヴァスコ・ダ・ガマ1498年にインド洋を横断。スペインは1492年イタリア人のコロンブスの船団を大西洋に送り出した。コロンブスはアメリカをインドと思い込み、先住民をインディオと名付けた。
・ボルトガル人のマゼランはフィリピンに達して戦死したが、この世界周航によりで大地は球体であることが証明された。ポルトガルは優越した火砲の威力で制圧し、東南アジアの香辛料貿易を独占し莫大な利益を上げた。首都リスボンは世界商業の中心として栄えた。
(ルネサンスとヒューマニズム)
・古代文化の復興という意味がルネサンス。その根幹精神がヒューマニズム(人文主義)。ヒューマニズムは広義では、神中心の世界観から抜け出し、人間性を信頼しつつこれを充実・発展させようとする生活態度。
・絵画のルネサンス様式・・「ビーナス誕生」のボッテイチェリ、「最後の晩餐」「モナ・リザ」を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ、「最後の審判」のミケランジェロ、「聖母子像」のラファエロ等多くの巨匠が現れた。
・文学では、ダンテの「神曲」、ボッカチオの「デカメロン」、トマス・モアの「ユートピア」等が有名。
・イギリスでは、エリザベス1世の即位とともに国教会体制が確立(1559年)、絶対王政は広く国民の支持をえて最盛期を迎えた。
・フランスでは1661年ルイ14世の時代に王権の強大化は頂点に達し、パリ郊外に壮大なヴェルサイユ宮殿を立てた。
(啓蒙思想)
・フランシス・ベーコン(イギリス)の唱えた帰納法、デカルト(フランス)の唱えた演繹法は2つの潮流を統合し、批判哲学を打ち立てたカント(ドイツ)は人間が自分の理性を主体的に用いて子供じみた迷妄から抜け出ることを「啓蒙」とよんだ。
(欧米近代社会の確立)
・産業革命はイギリスではじまり、「世界の工場」の地位を確立するが1783年パリ条約で13の植民地がアメリカ合衆国として独立することを承認し、ミシシッピ以東の地を合衆国に譲った。
(フランス旧制度の危機)
・絶対王政下のフランスは「旧制度(アンシャン・レジーム)」と呼ばれる身分制度の社会だった。
・ナポレオンは1799年、軍事クーデターで総裁政府を倒し、統領政府を作り、フランス革命を終結させた。1804年国民投票で皇帝となり、ナポレオン1世と称した。
(近代化と土地改正)
・日本では明治維新後の地租改正(1873)で農民の土地所有権が認められたが、高い小作料をとる不在地主が多く存在して農民の苦しい状態が続き、第二次世界大戦後の農地解放(1945-46)で不在地主が廃止され、多くの自作農が生まれた。
(産業革命の波及と農業改革)
・産業革命を最初に成し遂げたイギリスは「世界の工場」の地位を占め、世界市場の支配に乗り出した。優越した地位を確保したイギリス、後発資本主義国、従属経済地域という世界が三分される世界経済システムが確立。これが近代史を貫く基本構造となった。
(労働運動と社会主義)
・産業革命が引き起こす新しい社会問題への解決策として、社会主義の思想が台頭してきた。ドイツ生まれのマルクスは、資本主義の発達はますます多くの労働者階級を作るから、社会主義の到来は歴史の必然であると主張し、エンゲルスと共同で共産党宣言をあらわした。その後、マルクスは
資本論を書いた。
(ドイツ帝国の発展)
・ビスマルクは養老保険を整備し、1890年まで宰相としてドイツ帝国をヨーロッパの大国にした。
(東南アジアの植民地化)
・タイでは18世紀末以来、有能な君主が続いたこともあり、東南アジアでは唯一、独立を維持した。
(アヘン戦争)
・江戸末期、イギリスは中国との間の懸案を一挙に解決すべく遠征軍を派遣しアヘン戦争がおこった。
 イギリス軍が勝利し、1842年南京条約が結ばれ、上海の開港、香港島の割譲等を清は認めた。
・中国ではアヘン戦争をきっかけに貿易の中心は上海に移り、急速な発展を見せたが、その一方で中国は半植民地化への道を歩むこととなった。
(中華思想と欧米諸国)
・中国では古くから中華思想があり、周辺国や民族はすべて文化程度が低く、自国に服属するものとみなしていた。南京条約により英清両国が対等の関係になったのは、中国史上画期的なことであった。
・アロー戦争(第二次アヘン戦争)で、清はイギリスに九竜(きゅうりゅう)を割譲するほか、開港場には行政権や司法権を外国が握る租界が設置された。

(現代)
・10か国にもならない帝国主義列強は、その勢力圏の拡大と再配分をめぐって争い、互いにブロックを作り対応したので、これが第一次世界大戦を引き起こすこととなった。
(中華民国の成立)
・1905年、孫文は三民主義をとなえ、革命勢力の強化をはかった。1912年1月、南京に孫文を臨時大総統とする中華民国が成立した。孫文が目指したものは、清朝打倒と漢族主導の立憲共和制の樹立であった。
(日露戦争)
・日露戦争は、日本・イギリス・アメリカ 対 ロシア・フランス・ドイツであった。日本は南樺太
 (サハリン南部)を領有し、韓国における武装抗日闘争を弾圧して、1910年には韓国を併合した。
(アメリカ合衆国の繁栄)
・アメリカの経済は大戦中に目覚ましい発展をとげ(第一次大戦で国土の被害なしは米国だけ)、ヨーロッパに対し、債権国となった。
・1920年台(大正時代)アメリカでは自動車が普及し、3所帯に2台の割合であった。
(植民地支配下の朝鮮)
・昭和初期、日本に強制連行されて、重労働に従事する人々が急激に増えた。1945年8月には、敗戦とともに日本の朝鮮支配は終わった。
(ガンジー)
・ガンジーはロンドンに留学して弁護士になった。その後、南アフリカにわたり、22年間、この地に住むインド人の人権擁護のために働いた。マハトマ(偉大な魂)という尊称で呼ばれ、狂信的なヒンズー教徒に78歳で暗殺された。

 ・・2012年6月16日(日)やっとの思いで時間を作り入力したと思った・・その瞬間・・・期限切れとのメッセージとともに振出に戻って、すべてが消失してしまった。これも何かの意味があることと思うが、今回は再入力をしない。・・後半は、第二次世界大戦前後の世界の動きであったがそれは脳にインプットしておく。

●● ピークパフォーマンス方程式 ●●
・絵画のルネサンス様式・・「ビーナス誕生」のボッテイチェリ、「最後の晩餐」「モナ・リザ」を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ、「最後の審判」のミケランジェロ、「聖母子像」のラファエロ等多くの巨匠が現れた。
・文学では、ダンテの「神曲」、ボッカチオの「デカメロン」、トマス・モアの「ユートピア」等が有名。