代表的日本人

  内村 鑑三  投稿日:2009年 1月24日(土)23時35分14秒
 
  当著は、101年前の内村鑑三氏(1861-1930:明治・大正期のキリスト教の代表的指導者、伝道者)の英文著作の翻訳である。日本を世界に向けて紹介するには、どうしても欧文でなければならず、一生の事業として著されたものである。

【西郷隆盛】(1827-1877:幕末・明治初期の政治家、新日本の創設者)
西郷隆盛は明治維新の原動力、中心となった。長州藩と薩長連合を組み徳川幕府を倒し、千年続いた天皇の不安定な状態を現在と同じ形にした。
政府を作り、領土拡大を目指したが、欧米視察を終えた者との考えの違いには勝てなかった神の存在を知り、何にも欲することがなく、犬が趣味であった。
考えの中心は、陽明学であった。

【上杉鷹山】(1751-1822:江戸中期の米沢藩主、封建領主)
鷹山は17歳で、現在の福岡県の秋月から米沢藩の世継ぎとなった。
領土内では、自ら率先垂範し節約に努め、仕組みを作り上げた。有名な言葉、『為せば成る為さねば成らぬ何事も、為さぬは人の為さぬなりけり』の紹介はない。『全ての学問の目的は、徳を修めることに通じている』は正にその通りだと思う。JFケネディ大統領、クリントン大統領が最も尊敬する日本人と答えたことも有名である。

【二宮尊徳】(1787-1856:江戸後期の農政家。名は金次郎、尊徳は後の名乗、農民聖者)尊徳は16歳の時に親を亡くし、伯父の世話になった。字の読めない人間にはなりたくないとの思いから、孔子の『大学』を入手し、しなくても良い勉強を、勉強などしなくても良いと言う困難な環境の中で山への往復道でしていた。飢饉に苦しむ小田原藩の救済をし、その後も各地の救済に勤めている。

【中江藤樹】(1608-1648:江戸初期の儒学者で、わが国の陽明学の祖。村の先生)当時、学校は真の人間になるためだった。それを、君子と称した。藤樹は何と11歳のときに孔子の『大学』により全生涯を決める大志を立てている。
藤樹は、大学のかかれた「人の第一の目的とすべきは生活を正す事にある」に感銘した。藤樹は「積善」について「・・小人は小善の事を考えない。だが、君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。・・大善は少なく小善は多い。・・君子は多くの小善から徳をもたらす。・・徳はあらゆる大善の源である」と言っている。約400年前に、我々の祖先はこんなに素晴らしかったのかと、思わずにはいられない。

【日蓮上人】(1222-1282:鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。仏僧)
仏教の日本伝来は西暦551年。新しい宗教熱が頂点に達するのは9世紀初頭で、中国から帰国した最澄と空海によるものであった。
1222年、安房小湊村の漁師の家に蓮長は生まれた。当時、上流階層は禅宗が、下流階層は浄土真宗が支配していたが、仏教の教えはどこにも見られなかった。
日蓮は、長年、万巻の経典の研究から、日本発の教えとしたが、様々な妨害を受けることとなった。

●●ピークパフォーマンス方程式●●
心眼力の著者、野口嘉則氏がすすめる「人間性を高める為の本」と言う事でこの本に出会った。日蓮にいたっては800年前に、このようなレベルの人間が現に存在していた事実は衝撃である。まさに、過去の偉人との出会い、そして彼らに共通する積極的な学びと行動は人間性を高めてくれたと思う。これからも、偉人との出会いを求めて行くべきだと思う。