調査日誌274日目(通算1158日目) -北幾世橋村・馬場楽山墓碑について②- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年8月2日。

 

西村慎太郎です。

9月7日に開催される「第10回浪江を語ろう!」では大字幾世橋についてお話ししますので、現在、大字幾世橋について勉強中。

 

前回から馬場楽山の墓碑銘を検証しています。馬場楽山は北幾世橋村の名家であり、富商として知られていた馬場家の幕末の当主で、学問に秀でた人物です。墓碑の撰文は錦織晩香。

今日も引き続き見ていきたいと思います。読点を適宜付けていきます。

 

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翁以有至性、初居家其父罹疾看護侍養不異成人、矦聞之賞賜白金若干、自幼好学稍長受業中村碩儒弘道先生、雖在家務繁劇、而孜々不癈、晨誦夜講、至忘寝、遂閎覧強記通知古今、遠近来乞教者頗衆、蓋隣里知学自翁始、

 

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楽山翁は極めて優れた性質で(「至性」)、実家にいた時、その父が病に罹り、看護して、ずっと付き添うことは成人に異なりませんでした。相馬藩主はこれを聞き、賞して、若干の金銭を賜りました。幼い時より学問を好み、やや成長して相馬藩の儒者である弘道先生の講義を受けました。

 

馬場家に入って、家にいる時は家業が忙しいといっても、熱心に取り組んで(「孜々」)、やめることはありませんでした。朝に(「晨」)に暗誦をして、夜に講釈をして、寝ることをも忘れていました。ついに博覧強記として古今のさまざまなことを知り、遠くからも近くからも教えを乞う者がすこぶる多かった(「衆」)です。

 

まさしく(「蓋」)近郷の里の学識は楽山翁よりはじまりました。