調査日誌255日目(通算1139日目) -幾世橋の虚無僧捕まえられる①- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年7月14日。

 

西村慎太郎です。

9月7日に開催される「第10回浪江を語ろう!」では大字幾世橋についてお話ししますので、現在、大字幾世橋について勉強中。

 

本日も「初発神社となった北原御殿養真殿」を書こうと思ったんですが、昨日から東京大学史料編纂所データベースの画像が見られません(+_+)

 

というわけで、本日のブログはこれでおしまい。。。

 

というのも残念なんで、史料編纂所のデータベースが復活することを期して、本日から幾世橋村のことを書いた明治期の全国紙を見てみたいと思います。朝日新聞のデータベースで検索をかけたところ、明治期の幾世橋村ネタについて発見しました。

個人情報保護の観点から問題が発生したら伏字にするか削除しますが、そのまま出します。

関係者いたら赦してください😅

 

1900年3月20日付5面です。適宜、常用漢字に直し、読点を入れてます。

 

 

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●虚無僧召捕らる 福島県標葉郡幾世橋村大字幾世橋十三番地平民相澤忠雄の長男幸吉(十九)といふハ、幼少の頃、父忠雄の指揮によりて、同村檀那寺に入り、住持の僧より得度牒を得て、専はら仏学を修業し居りしに、其後住持の僧ハ病を以て此世を去り、幸吉ハ他の徒弟と共に夫々の紀念分を受け、其儘同寺を退転したるが、他の徒弟等ハ思ひ々々に師を求めて、皆其身を落付けたるにぞ、幸吉も親許に留まるを面白からず思ひ、左れバとて又々師を頼むも面倒なりとし、寧その事東京へ出で、俗人となつて一事業起さんとて所存の程を一家の者に語り、先々月中旬頃住馴れし福島を跡にして東京へ出で、諸所を見物するうちに、或夜宿屋の若者に勧められ、よし原の里を素見せしが、(つづく)

 

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幾世橋出身の幸吉という人物の話ですね。年齢からして明治時代に得度したものと思われます。また、得度した檀那寺が「退転」したというので、現在は廃寺ないしは無住となっている寺院かと思われます。

 

さて、東京に出てきた幸吉ですが、吉原遊郭に向かったところどうなったか、次回以降に見てみたいと思います🤩