2024年6月16日。
西村慎太郎です。
浪江町域の学校について、昭和3年(1928)福島県教育新聞社編『福島県教育名鑑』(福島県教育新聞社、1928年)から検証し、前回の津島尋常高等小学校で全部検証が終わりました。そして、『福島県教育名鑑』には教員も記されていますので、本日からは先生たちを確認してみたいと思います🤩 もしかしたら実際に習った方もいらっしゃるかもしれませんね🤩
本日は阿倍虎雄についてです。
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阿倍虎雄
雙葉郡幾世橋村(明二六生)
浪江小學校訓導農商補習助教諭體操主任。大正六栃木師範卒業那須郡西那須野南校に在職せり
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阿倍虎雄は明治26年(1893)幾世橋村(現在の浪江町大字幾世橋)に誕生しました。大正6年(1917)に栃木師範学校(現在の宇都宮大学の前身)を卒業後、西那須野南校(現在の那須塩原市立南小学校)に在職し、浪江小学校に勤務することとなりました。
興味深いのは、当時、浪江小学校には補習科があり、農商補習科の助教諭を務めていました。以前のブログで紹介した「東部海岸筋に重鎮たる」と評され、浪江町で精米業・肥料商・牧畜家・養鶏家・菓子商を営んだ常盤今朝吉も補習科出身でしたね。詳細は拙著『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』(いりの舎、2023年)の「調査日誌(勉強中)84日目 -「東部海岸筋に重鎮たる」常盤今朝吉-」をご覧ください。
また、阿倍虎雄は体育の先生も務めていました。