調査日誌226日目 -昭和3年の浪江町域の学校⑦ 津島尋常高等小学校- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年6月15日。

 

西村慎太郎です。

浪江町域の学校について、昭和3年(1928)福島県教育新聞社編『福島県教育名鑑』(福島県教育新聞社、1928年)から検証しています。編纂物ということで二次資料ですが、貴重な資料と思われます🤩

 

本日は津島尋常高等小学校です。

 

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津島尋常高等小学校

津島村大字下津島字町に在り、川俣町より縣道五里半浪江町より同八里徒歩。職員八人、学級八、児童三百六十五人、分教場一あり。校庭數十株の櫻は城郭造の校舎と相對して一層景趣を深からしむ。奉安庫、住宅共に備はれり。

 

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まず昭和3年当時はは乗合自動車などなく、川俣町や浪江町のいずれからも徒歩なんですね。川俣町から5里半(約22キロ)、浪江町から(約32キロ)。。。

児童数が365人とやはりかなり多いのと分教場がある点が興味深いです。分教場とは、いわゆる分校のこと。詳細は記されていませんが、昼曽根分校のことを指しているものと思われます。昼曽根分校は昭和54年に廃校となってしまいました(『浪江町赤宇木の記録 百年後の子孫たちへ』赤宇木記録誌編集委員会、2024年、314頁)。

 

さらに興味深い記述として、数十株の桜が植えられていたり、城郭造(!?)の校舎が建っていたようです。どのような景観だったんでしょう??🤩 また、御真影を納めた奉安庫も設置されていたようです。これは現在でも遺されているのでしょうか??

 

まだ、津島に行ったことないので、ぜひ行ってみたい場所のひとつです🤩