2024年4月16日。
旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。
かなり多いんで何回かに分けて書きます
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稲荷〈正一位〉・金毘羅 二神合祀、宮方二間、在古城、社料四斗五升〈貸地〉、
旧在南幾世橋十日林、文化元甲子年遷于古城、別當修験泉田山来祥院、
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正一位稲荷と金毘羅の二神が合祀されている2間四方(約3.6メートル四方)の神社です。場所は北幾世橋村古城(ふるじろ)。泉田城址のあるあたりです。「正一位」と割注があるので、公家の吉田家などを通じて朝廷から与えられたものと思われます。
社料(社領)として4斗5升が記されていますが、ここには割注として「貸地」と記されています。この意味は判然としませんが、社料(社領)分を借地経営に当てていたということでしょうか。
この二神はもともと南幾世橋村十日林(現在の大字幾世橋字十日林)に鎮座していたようですが、文化元年(1804)に北幾世橋村古城へ遷座しました。遷座の理由は不明。別当を務めていたのは本山派修験の泉田山来祥院。来祥院については、以前、一般社団法人浪江町地域文化フォーラムのブログで書きましたので、そちらをご覧ください。