調査日誌146日目 -若松第一尋常高等小学校長・標葉長治による「記」について⑤- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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2024年3月26日。

 

昭和8年(1933)の標葉氏顕彰運動に関わる古文書を見ています。鈴木松五郎宛標葉長治書状について翻刻しました。標葉長治は若松第一尋常高等小学校の校長です。

 

標葉長治書状に付けられていた「記」を翻刻していますので、続きを見てみたいと思います。適宜読点を付けたいと思います。今日でようやく「記」の翻刻がすべて終了します🤩

 

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一、尚文化ノ未ダ開ケサル時代ニ於テ、殊ニ敗北者ノ悲惨タルヤ想像ニ餘アリ、吾人ノ祖先ノ苦難如何計リナリシカ、系図・記録等ヲ堙滅シ、之ヲ傳ヘザルハ当然ニシテ、之ヲ口傳ヘニシタルモノト想ハル、

 

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標葉長治による「記」の最後には彼自身の心情が吐露されています。中世を「文化ノ未ダ開ケサル時代」と定義し、今の時代と対照化させており、「敗北者」=標葉氏が悲惨であり、先祖に苦難があったと述べています。

 

中世標葉氏の末裔であることについて、標葉長治は系図や記録などの資料がなく口伝として遺っていると記しています。今回の標葉清隆紀念碑建立の際し、標葉長治が自ら鈴木松五郎に連絡を入れたことから、先祖に対する強い矜持がうかがえます。