調査日誌(勉強中)42日目 -江戸時代に北標葉郷から集められた米の量- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2021年4月23日。

 

さて、浪江町権現堂、

大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊

 

前回は江戸時代の権現堂村(浪江町・浪江宿)にあった公的な建物について触れました。

特に役所=陣屋の中に「倉廩(そうりん)」と称された米蔵がありました。

『相馬藩政史』上巻(相馬郷友会、1940年)558頁を見ますと、

「当郷(北標葉郷:引用者註)陣屋元禄十年権現堂村ニ設置ス」とあり、

権現堂村で北標葉郷の年貢米を集めていたことがうかがえます。

 

集められた年貢米は請戸湊まで運ばれて海路で江戸に運ばれましたが、

ではどの程度の北標葉郷の米が権現堂村の陣屋に運ばれ、

その後江戸へと廻送されたのでしょうか。

 

最近刊行された『相馬市史 5 資料編Ⅱ 近世1』(相馬市、2021年)795頁によれば、

請戸湊から船積みして廻米した米の量が記されています。

 ※『相馬市史 5 資料編Ⅱ 近世1』は天野真志さんから御恵贈頂きました🤗🤗🤗

 

 

 ①(熊川家文書385)

              請戸濱 己百丸

  米弐千八百俵

   内千百五拾弐俵  北標葉郷

                午御収納

   同千三百八拾俵  南標葉郷

                右同断

   同弐百六拾八俵  同郷

                午御買米

  右積切り御届申上候、

   十二月七日

 

 ②(熊川家文書1584)

              受戸 宮本丸

  米弐千七百五拾俵  北標葉郷

                子御収納

            但し三斗弐升三合五勺

  外大豆五拾俵

  右之通十一月八日積切、出帆届申出候、

 

いずれの資料も年未詳です。

まず①は請戸湊(請戸濱)から船積みする己百丸の2800俵の内訳が、

1152俵が北標葉郷から集められた午年分の年貢米(「午御収納」)、

1380俵が南標葉郷から集められた同じく午年分の年貢米(「右同断」)、

加えて南標葉郷で藩が購入した268俵(「午御買米」)であったことが届けられています。

 

②は同じく請戸湊(受戸)から船積みする宮本丸で、

北標葉郷の子年分の年貢米2750俵と大豆50俵であったことがうかがえ、

この米俵は1俵=3斗2升3合5勺でした。

この年貢米を石高に直すと889石6斗2升5合となります。

 

かなりの数の米が権現堂村陣屋に集積されて請戸から船積みされたことが分かります。

権現堂村陣屋の規模などは不明ですが、

南標葉郷の年貢米を集めた長塚村陣屋(現在の双葉町長塚)の場合、

少なくとも7棟の「倉庫」が確認できます。

(『双葉史資料シリーズⅡ 長塚村郷土誌』双葉町教育委員会、1984年、3頁)