未来のバレエダンサーと

日本古典バレエ創作を手掛ける🍊です。

 

今日は、バレエの舞台でもある

故郷・広島にある

福山市民会館についての思い出話を。

 

 

福山市民会館は

私が小学1年生ごろ(1990年)

今の中央図書館のある明治町に建っていました。

 

バレエを習い始めの頃、

その場所は様々な業種が集う

文化の発信地でもあり

大切なバレエの舞台でもありました。

 

 

市民会館のすぐそばに、

酒井敏恵バレエ研究所があり

(現・酒井エレヴァシオンバレエ)

その教室の1回目と2回目の発表会が

市民会館で披露された記憶があります。

 

当時は、振付家で教師の

坂本憲一先生が東京から通い

教室の生徒さんと一緒に

バレエの舞台を創っていました。

 

私がバレエを習い始める前から

酒井先生は全幕物のバレエにこだわり

 

・白鳥の湖

・くるみ割り人形

・眠れる森の美女

など世界3大バレエと呼ばれる作品を

教室の生徒さんと全力で創っていました。

 

今思えば、地方のバレエ教室で

40年以上前から全幕もののバレエ作品を

みんなで創るという発想は

当時のバレエ界でも珍しく、

すごく新鮮で斬新なアイデアだったと思います。

 

 

酒井先生は、生徒たちのスキルに合わせて

2年に一度の発表会では

 

・第一部 小作品(新作もの)

・第2部 全幕ものの作品

 

といった構成で、

観る人を飽きさせない舞台

バレエを好きになれるきっかけを

発表会を通じて伝えてくれました。

 

 

バレエの舞台、特に全幕ものは

初心者~プロのダンサーまで

幅広い世代が出演し、

またスキルの高いバレエパフォーマンスを

求められる場面が多くあります。

 

 

大抵は、バレエ教室で

幼いころから習っている

中学・高校生が中心となり

主役級の踊りや

ゲストダンサーとの組み合わせなどで

どのような舞台構成になるかが決まります。

 

 

私が習い始めた頃は、

近隣の小学校から

たくさんの少女達が

毎日のようにレッスンにきていて

平日はクラスレッスン

土日は発表会のリハーサルと

1年の半分はバレエ漬けの毎日。

 

 

全幕ものの作品ともなれば

東京からプロのダンサーや

バレエミストレスと呼ばれるコーチを招き

プロのバレエ団と変わらない

本物のバレエ作品を創るため、

半年~1年かけて振付・練習に励みます。

 

 

学校の勉強もしてたけど

バレエの練習時間のほうが

長いんじゃないかってくらい

クラスレッスンとリハーサルを繰り返します。

 

 

そのおかげで、

今でも当時踊った作品の

全幕ものは全て覚えており

曲を聴くと振付も思い出せるし

 

耳にタコができるくらい聴くので

どのバレエ団のレパートリーでも

一度覚えると忘れなくなりました。

 

 

バレエの発表会は

生徒たちにとって

2年に一度の晴れ舞台。

 

泣いても笑っても

たった1度の本番に向けて

1年中練習に励むのです。

 

なんでそんなに練習するかというと

当時のバレエ教室は

生徒の数が5~60人規模で

その中でもバレエのクラスを受けている

小学3年生~高校生までの生徒が中心となり

全幕ものの作品を作り上げます。

 

全幕ものの作品では

多くの生徒が

各幕ごとに1役与えられるので

例えば3幕あれば、3つの役があるわけです。

 

そのため、自分の振付を覚えると

他のダンサーの振付と合わせて

全体での演舞(お芝居と踊り)構成にかかり

全員が踊りながらストーリーを作ります。

 

このあたりは、ミュージカルとよく似ていますね。

 

1つの作品で、多くの役をもらえる半面

数多くの振付と練習をこなさなければならないので

普段のレッスン以上に大変な毎日がやってきます。

 

平均して2~3時間かかる

全幕ものの作品では、

大きな劇場のリハーサル室や体育館を借りて

普段は木の板のところに

リノリウムという専用のゴムシートを一から敷き

バーを設置して毎回練習していました。

 

福山市民会館は、

私が幼稚園くらいの時

初めてバレエダンサーを観た場所で

東京の松山バレエ団が公演に来た際、

同郷の森下洋子先生が

ジゼルを演じていたのが最初の出会いでした。

 

当時は東京のバレエ団が

地方で公演することも少なく

本物のバレエ公演にえらく感激しました。

 

それから広島にも何度か通い

パリ・オペラ座でプリンシパルをしていた

シルヴィ・ギエムや

ロイヤル・バレエで活躍していた

熊川哲也さん・吉田都さんなど

たくさんのバレエダンサーの公演も観る中で

いつか自分もこのような舞台を創る人になり

若いダンサーが集う場所を数多く企画したいと

心の隅っこに抱く様になりました。

 

 

バレエダンサーになるには

生まれつき、バレエに向いた体型と身長

正しい筋肉の使い方を学ぶ必要があります。

 

私の体型は思春期になると

バレエよりも日舞向きに成長し

ダンサーよりも教師に向いていると感じたので

20代前半はバレエミストレスも経験しました。

 

若いダンサーがより一層輝ける舞台と

それを支える多くの職業の人々があり

あらためて、バレエ公演が成り立つんだということを

福山市民会館で教わったなと感じました。

 

 

ちなみに、私の初舞台は4年生の時で

小作品のサーカスでは

ピエロの役をもらいました( *´艸`)

 

オリジナル作品「祭り」では

和太鼓の演奏に合わせて

みんなで踊る雰囲気が本当に好きだった♬

 

初の全幕ものでは

・眠れる森の美女全3幕のうち

2幕の妖精役(群舞)と

3幕は・・・覚えてない(^^;

 

2幕の妖精さんは

淡いグリーンのチュチュを着せてもらい

可愛い衣装に興奮しすぎて

家でも何度も何度も着た記憶がww

 

今と違い、当時は

バレエの衣装は全て

東京の衣装会社からレンタルしていたので

絶対に汚すなときつく注意されていました。

 

自分の持ち衣装でも

一から作るとなると数万円~数十万くらい

費用がかかると言われ、

保護者のママ達が手作りする衣装もありましたね。

 

 

市民会館が取り壊された後は、

松浜町のリーデンローズへ生まれ変わり

小学6年生(初のトウシューズ♪)の発表会から

2000人を収容する大きな舞台へと移りました。

 

 

今でも市民会館があった明治町には

酒井先生の運営する教室があり

当時と変わらず、教室の前を通ると

窓の傍からレッスンの曲が流れています♬

 

 

思い出はつきないけど

私をバレエの道へと導いてくれた

福山市民会館は

今でも大切な思い出の1ページです♡