私事で恐縮ですが、もうすぐ受ける、息子の受験校。出願者数が発表されまして
1校は、募集は2クラス(55~60人程度)のところ、出願者数1222人。倍率19.40倍。もう一つの学校も、12.38倍。
蹴る人もいるだろうから多めにとっても、数字を見て、受験しに行くだけ無駄のような気がしているのと、今から、どうやって慰めるか、考えてしまう。辛い。
受験が終わってからこの倍率を話すしかない。
と書いていたら、息子が帰宅し
「**19倍だって」
生徒からの情報だと。・・・・「誰だ誰だ」、くじけそうな情報、言わないで欲しかった。
親が子に言っちゃったんだろうな。
サンタクロースがいないって言うのも、昔、学校の子から聞いてしまったし。
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表題の話に
東山紀之、ストイックさの原点はマイケル・ジャクソンとの出会い:【音楽】 (musicvoice.jp)
1987年~1989年にかけておこなわれた、マイケルの世界ツアー『Bad World Tour』の米ニューヨーク州、マディソン・スクエア・ガーデンでの公演を観覧したという東山氏。・・・公演後にマイケルからの誘いで彼の部屋(ホテル)を訪れたという。
3時間ほどの公演を終えたばかりのマイケルの部屋を訪れた東山は、部屋でも踊り続けているマイケルを目撃。さらに、その踊る姿をショーン・レノン(ジョン・レノンの息子)がビデオ撮影していたという。汗が床に散らばって、びっしょりになりながらも踊り続けるマイケルを見て、
# MJはコンサート前も踊り、ホテルの部屋に木質の床を持ち込むんだそう。そして、コンサート前の練習でも床が汗でびちょびちょらしい(日本のレコード会社のMJが信頼していた人の話) リハーサルきっちり派で練習量が凄いらしい。
MJ映画「ムーンウォーク」にショーン・レノン君(当時)でています。ホテルにも呼んでいてビデオも許していたんだ。オノヨーコも一緒だったのかな?
少年隊の東山、名前も顔も知っていたけど、あまり知らなく、森光子さんと懇意にしていたとか、結婚したとかのニュースで知る程度。
先日、このMJとのエピソード記事を読んで、東山氏、羨ましいなぁと思っていたところ、東山氏は幼い頃、貧乏で、食べるのにも事欠いて近所からお裾分けをもらっていた時期があったと本人談の記事が出て、ますます興味がわいてしまった。
ヘラヘラした感じが無いのはそういう事だったのかと。
それで、興味が出たので、wikiを見たら、ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンに興味を持っていたと(MJ愛からかしらん?)MJの他にブルースリーも憧れていると、ヘラヘラ系のアイドルじゃ無い。努力家が好きなのね。
私もブルースリーのプロ根性は尊敬していたし、リーの考え方を知って感銘を受け、MJのプロ根性と二人を照らし合わせたこともあったので、東山氏に勝手に親近感を憶えた。
MJもブルースリーも有色人種ながらアメリカで(世界的にも)白人からの名声を得た人。(残念なことに二人とも短い人生だった。そして自然死ではない感じ。更にリーの息子は28才くらいで映画の撮影中に空砲のはずの銃に実弾がこめられて殺された。迷宮入り)
更にwikiによ、ジャニーズ事務所の合宿でMJのビデオ見せていたと知る。郷ひろみも田原俊彦もMJの影響受けてるなぁと感じていた。
ダンスをやっている人は大抵MJを研究するらしいけど。歌は研究しても無理な感じですが。
ここで郷ひろみのMJカバー?の動画を ↓
勇気ある。郷さんも郷さんだけど、やらせる方もやらせる方。
ヤングオーオー。最後にさんまさんと伸助がちらっと
さんま「ほんとに格好いいですねぇ~」
MJ死後、プリンスが追悼として、「Don't Stop 'Til You Get Enough」をやりましたが、バッキングコーラスに歌わせて(歌えてなかったけど)、自分は決して歌わず、踊らず、ギターで逃げたくらい、MJの歌は難しい(プリンスは分かっていた)。
MJ歌の上手さが分かっていなかったのでは無いかと思えるような無謀な挑戦。
wikiに戻って
ビリージーンとスリラーの振付けはマイケル・ピータース氏だけど、この人から少年隊はレッスンを受けたと書かれている。
MJの人気の時期に青春時代が重なったのは、今47才~58才位かなと?60才以上の人は、あまり洋楽に触れにくかったからあまりいないだろうとのこと。
東山氏の年齢を見たら47才~58才にはまっていた。少年隊と言う名前のせいか、そんなお年だったのかと。
彼は13才でジャニーズの事務所の合宿で初めてMJを見たんだそう。スズキのCMに出ていたんだけどね。
wikiより
”2009年6月、ボクシングを始める。始めたきっかけについては、ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンらがボクサーであったことから興味を持ち始めたことに加え
・・・・
憧れの人物に王貞治、ブルース・リー、マイケル・ジャクソンを挙げている。王貞治の精神、ブルース・リーの肉体、マイケル・ジャクソンの軽やかさが自身の目標だと語っている。
マイケル・ジャクソンには、東山が13歳の時にジャニーズ事務所の合宿所で初めてビデオを見て以来[、そのダンスパフォーマンスに衝撃を受け、以降ずっと「ダンスの神様」と敬愛し続けており、自身の芸能活動の礎になっていると語っている。少年隊のメンバーとともにマイケルの振付師であるマイケル・ピータースからレッスンを受けたり、東京ディズニーランドでマイケル本人と2人でアトラクションを楽しんだこともあった。自身の連載コラムの中でも“マイケル・ジャクソンの衝撃”と題してマイケルの凄さを語り、マイケルの死後も2ページにわたって追悼コラムを掲載し、生前対面したときのエピソードなどを綴っている。”
羨ましい・・・・。
MJと対面して話をして踊りを目の前で見せてもらえるなんて。対面するだけでも羨ましいのに。
芸能人特権といえなかなか運もいい人なのかも。
MJと東山
MJと郷ひろみ
元SMAPの香取慎吾は、ネット記事によると
「香取は88年12月、ジャニー喜多川さんにマイケルの東京ドーム公演『バッド・ワールド・ツアー』に連れて行ってもらいました。弱冠11歳にして、最前列という贅沢。数人のジャニーズJr.と共に観賞し、『行って始まっただけで興奮して、キャーキャー僕も言いながら見てたら、マイケルが僕を見てくれた』と、のちに語っています。
だと。
(有名な大物芸能人何人も最前列では無かったのに、11才で最前列って、ジャニーズ、おいしいぃ。)
ボーイジョージですら「人生で後悔しているのはマイケルジャクソンに会わなかったこと」と言っていたのに・・・
私なんか、この時の公演、アリーナ取れず、2階席だった。アリンコみたいなMJしか見れなかった。
アリーナの前の方、芸能人やコネがある人が多くいたらしい。
ずるい。