少し前に書いた、YMO 坂本龍一のマイケルバージョンのBehind The Maskの動画がありましたので、貼っておきます。
↓ ニコ動なのでクリックを
メディア・バーン・ライヴ(Media Bahn Live)のもの(1986年)です。
”マイケルバージョン”と書かれているようです。
歌い方はグレッグバージョンぽいですけどね。
バーナード・ファウラー(Bernard Fowler)という、ローリングストーン等のバックコーラスをしていた方だそう。盛り上げますね、歌、上手い。
ミックジャガーより断然に上手いと思うけど、音楽産業界では、メインで彼をプロデュースしないから、彼はバッキングコーラスしかさせてもらえないんですね。^^;
グレッグバージョン動画も貼っておきました。
この坂本龍一、若くてノリノリです。
動画↓
Behind The Mask MEDIA BAHN - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)
坂本龍一&マイケル・ジャクソン共作名義の楽曲がオンエアー | BARKS
の記事によると
MJ死後、坂本さんが、J-WAVEで、Behind The Mask原曲にMJが歌詞とメロディーラインを付けスリラーアルバムの候補曲になった話を披露して、マイケル作詩のグレッグバージョンを流したようです(MJボーカルのは許可を得ていなかったから流せなかったのでしょうね)。
YMO坂本さん、イギリス人にBehind The Maskの作詩を頼んで、その方が曲の一部に歌詞を付け、YOMバージョンとなったよですが、その方のこの曲から思うイメージは、感情を隠した無機的な人だったので「能」をイメージして作詞したのだそう。
舞踏家、伊藤道郎。イギリス人が戯曲に能を取り入れることを伊藤道郎に頼み共作しましたが、顔も似ている感じだし、繋がってしまいました^^;
海外で活躍の日本人、能、イギリス人、顔・・・
そして、伊藤道郎について今度書きたい、以前書いたので最後に書きました。
YMOの有名なライディーンとかは盛り上がり部分がありますし、この曲は敢えてそうしたのかも知れませんが、この曲から感じた私のイメージは「単調な曲」。坂本さん、狙ったのかも知れませんが。
MJはなるべく原曲通りに、イメージを崩さずに声で盛り上がり感を付加して上手にやったと思います。
以前のブログ(MJのBehind The Mask と 原曲 )
↓
日本のバンドY.M.Oをマイケルジャクソンがカバーした「Behind The Mask」 | 病気だらけのブログ (ameblo.jp)
仮にこれをアルバムに載せるなら、もっと盛り上がりを加えていって「MICHAEL」で発表されたものとは、また違ったものになっていたかも知れません?
「MICHAEL」のリラックスした(本番ぽくない)あの感じもいいなぁと思いますが、更に手を加えたバージョンも聞けたなら、MJの曲作りの心得が、少しでも垣間見れるのですが・・・。
スリラーにこの曲を入れていたら、何が抜けていたのかと考えてしまいました。溝がキチキチさも直したスリラーだったそうですから、いっぱいいっぱいだったようです。
MJは、アルバム「スリラー」を作りながら、ジャクソンズのTriumph Tourでツアーも同時に行っていて、凄いと思います。
MJエステートに一番作って欲しいDVD、”Triumph Tour DVD”
MJが、YMOのBehind The Mask全体に歌詞とメロディーラインを付けてMJバージョンになり、著作権をMJサイドが買い取ろうという段で、YMO側の経営陣が「曲を聞かせてもらってから決める」といいだし、MJ側(法関係)はそれはできないと答えたそうですが、
経営陣の考えとは別に、坂本さん的にはどうだったのだろうか。
グレッグバージョンは、MJのものよりも、原曲のイメージから少し遠のいた感じもします。
MJバージョンは、やや中毒性がある(私には)。
グレッグは、ジャクソンズからMJのキーボードをしていた方。MJ活動30周年記念コンサートも担当、音楽のセンスは保証付きに思う。
そして、グレッグのほうが、同曲を歌うエリック・クラプトンより歌が上手いけど、エリック・クラプトンに同曲を歌わせて、自分はバックで演奏という・・・・・。
ちょっと切ないなぁ。
エリッククラプトンの同曲が入ったアルバムはフィル・コリンズがプロデュースということで、この曲が入ったのも納得。
この曲で、法的に争ったそうだけど誰と誰が争ったのだろうか?
ロイヤリティーで争ったのかな?
クラプトンとYMOとMJか?MJとYMOか?
エリッククラプトン、映画のサントラになったTears In Heavenがヒットした、90年半ばに来日コンサートをしにきた際、彼のディナーの後に行ったクラブの方だけ、知人の付き合いで一緒にいました。
彼は何人ものすらっとした白人女性を侍らせておりました。
彼が来るのが遅くて、眠くて仕方が無かった。普通の白人のおじさまの見た目でしたしね。
・・・どうでもいいことですが、私はディスコ(昭和)とかクラブは好んでは進んでは行かなかったので、あまり行ったことがありません。
(NHKの2時間番組と民放でやっていた伊藤道郎の2時間程の番組を見て)
日本人のイギリスとアメリカで活躍した、日本で初めてのダンサーは伊藤道郎。
以前書いたけど、道郎は、ニジンスキーと同じバレエクラスに通い、WWⅠのせいでドイツにいれなくなりイギリスへ、そこで首相や多くの著名な芸能人と知り合いになり、日本の芸術・文化要素を取り入れたい(行き詰まった)芸術家と一緒に活動し、「惑星 ジュピター」の作曲家、ホルストは伊藤道郎に捧げた曲も作ったそう。また、アイルランドの詩人イェイツの戯曲「鷹の井戸」に「能」を取り入れ、共作し、道郎は羽を付けて演技もしたのだそう。道郎はお坊ちゃまでしたが能は知らず、能の勉強をイギリスでしたのだとか。イギリスで有名になり、アメリカから声がかかって米国に。ブロードウェイを手がけ、ニューヨークにスタジオを開くけれど、やりたいことは野外での舞踏。映画にも出ました。野外コンサートを大成功させ、アメリカで時の人となったけど、今度はWWⅡのとFBIからスパイと疑われマークされ、日本人収容所に入れられ、富と名声を奪われ日本に帰国。宝塚の基盤を作り、東京オリンピックの式の責任者になるも開催前に亡くなる。
この伊藤道郎の顔が坂本さんに似ているなぁと思ったところ、お互いイギリス人から「能」絡みの芸術共作と、
・・・Behind The Mask原曲は、作詞は僅かで、ほぼほぼ坂本さんといえますけどね。
明治以降の日本は政府の政策で、外国人をもてなす演芸を「能」ではなく「歌舞伎」にしました。能はメリハリが無いから外国人は分からないのでは無いかという考え出そう。現代の日本人でも「能」は、理解しにくいのではないでしょうか?
しかしながら、イギリス人の芸関係者は「能」を認知はしているんですね。能は、2度だけ見ましたが、飽きてしまって別のことを考えていました。
↓伊藤道郎をTVで見たとき「坂本龍一に似てる」と思いました。
それに加えて、イギリスで能を間に曲(戯曲)、、勝手に繋げてしまった。
坂本龍一ではなく伊藤道郎氏。
口元とか、似ている?
鷹の井戸
代表作「ピチカット」 足を固定して踊る。
欧米で人気を博したそうです。
日本人収容所を持ち出したくないから話題にしなくなったのかなぁ?
あまり有名では無いと思う。
オペラを目指して留学し、自分には無理だとバレエに転向し、山田耕筰とも親しかったそう。
日本人で始めてバレエを踊った人とも言われているそう。