ジョルジュ・ドンのこと~(53)人としての強さ、厳しい状況を立て直したドンの努力 | 病気だらけのブログ

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読み専門でしたが、天才・努力家のダンサーながら過小評価されているジョルジュ・ドンの事を書くために始め、洋楽、マイケルジャクソン、ドストエフスキー、旅行、ユダヤ資本、政治、経済、社会問題などランダムに書いています。

84年 ダンスマガジンで

ブリュッセルに渡ったことについて、「決心と才能意外に見込みが無いまま(=状態で)、スーツケースを手に」と書かれていました。

(Suitcase in hand, with no prospects other than determination and talent,)

逆に言えば、強い決心を持ち、ドンは自分の才能を見抜いていたともいえると思います(記者の意見ですが)。

 

マイケルジャクソンも頭が良かったと言われていますが、ドンも繊細な踊りができることからも頭が良く、鋭い人だったんだろうと思います。

 

ドンがアルゼンチンで見た、ベジャールの春の祭典は、面白い振り付けで、ダンサーの身体能力も高いと思いますが、10代のドンが、人生をかけるほどに感じたというのはドンの感性が若いときから鋭かったのかなぁと。

 

結果的にですが、ドンはダンサーとして成功しましたが、努力をすれば自分は上達するという自信がドンにはあったのかもしれません?

 

ベルギーに渡った当時は、入団できないかもしれない状況で、3ヶ月待ちの後、偶々運良く入団できたものの、司令官であるベジャールに入団早々に2,3ヶ月無視をされるという、精神的にきつい状況でした。でも練習することで自分の状況を建て直そうとして、自力で立て直したドンを尊敬します。16才でです!!

精神的に強いです。自分で悩み自分一人で解決したのでは無いかと。孤独感や哀愁あふれる感じは、当時の苦労故なのでしょうか?

 

16才で!!と書きましたが、16才の1年間頑張ったのではありません。おそらく生涯努力し続けたと思います。16才で入団し、5年かけてロミオの役を得ます。8年後にはベジャールが憧れていただろうニジンスキーをドンが演じました。ベジャールはドンにしかニジンスキーを感じなかったのでは無いかなと思います。

ドンが16才でベルギーに旅立ったのは、一人前になる年齢も考えての行動だったのでは無いかと思うのです。凄い人だと思います。

アダージェットがドンにのみ。そしてジルロマンにと言われていますが、ベジャールが心の底で大事だったのは、ニジンスキー・神の道化のニジンスキーだったのではないかと思います。ニジンスキーを演じうるのはドンしかいなかった。その役を得るまで努力したドン。

 

二人の師弟関係は、大人であり、最高執行者であったベジャールの歩み寄りでは無く、ドンの努力で築けたのだと思います。ドンが亡くなるまで、師弟関係でいた二人ですが、ドンはその後もその関係を維持するために努力していただろうと思います。

 

ベジャールに相手にされず、その後は無視されていた状況からミューズのようにベジャールからも一目置かれる状況に努力でもっていったであろうドンは凄いです。

 

ドンは会話無しにベジャールの気持ちや言いたいことが分かるようになり、数時間、無言で振り付けされることもあったようです。

 

ダンサーとして成功しましたが、致死の病になってしまったことが、悔やまれるので、ベルギーに渡ったことが、ドンや家族に良かったのかはなんとも、、、、。

 

でも

 

亡くなってしまった今となっては、ドンの映像が残り続けて欲しいですが、踊りだけで無く、ドンの人としての強さや人生も語り継がれて欲しいです。