ドンが伝えたかった事は、90,91年の最後と言える舞台
「ニジンスキー・神の道化」なのだと思っています。
それまでのものはベジャールの思い描く世界をドンが体現していましたが、71年のものではなく90年、アルゼンチンを皮切りに、日本各地30カ所以上で公演した、「ニジンスキー・神の道化」はドンの思いを表現したものに違いありません。
冒頭で「私はニジンスキーじゃない。と言いながら「私は5歳の時ブエノスアイレスで踊り始めた」とニジンスキーの手記の言葉を舞台で使いながら、私はニジンスキーでありドンであると言うことだと思います。
ドンがニジンスキーの手記を読んで、まるで自分が書いたようだというので私も読みました。ニジンスキーは動画が無いけれど伝説化されてる人という事で、どれほど上手いのか分からないという認識でしたが、「ニジンスキー・神の道化」鈴木章著を読んでみました。
鈴木章(東大文学部卒、専攻は文学・精神分析思想史、舞踏史)はニジンスキーについて書きたいと思いながら対象が大きく10年も書けないままでいたけれど、ドンの訃報を知り、この本の執筆に着手したと書かれていました。
叙情的でもなく、情報を集めた上で客観的に書かれた本で良かったです。
ベジャールは生と死について表現したかったのは、彼が学童期に母を亡くしたことから、受け入れがたい母の死について、深く深く考えて、彼なりの死の捉え方をすることが自分の救済だったのでは無いかなぁと考えていたのですが、ニジンスキーに多くの影響を得ているのもこの本を読んで感じました。
ドンの事についてベジャールの自伝からも引用がなされていましたが、
ニジンスキーとドンの共通点、ニジンスキーとディアギレフの関係とドンとベジャールの関係が似ていること等なども確認する事ができました。ドンとベジャールの関係は生ぬるいものでは無かった、命をかけた格闘に近いとも書かれていました。
ニジンスキーとディアギレフの関係は愛というより、利害関係による相互の結びつきが大きかったのも感じました。
ドンとベジャールにもあてはまっていたでしょう。
この本で、ニジンスキー本人以外で、大きな写真が添えられているのはドンの写真でした。写真が多い本ではありませんがドンの写真が3枚。ダンスをしている写真でニジンスキー本人以外のものドンだけでした。ダンスの表現について語られていたのはニジンスキーとドンくらいでしょうか?
(ニジンスキーも言葉で使えるのが下手だったそうです。ドンも自分で言っていました。だから ニジンスキー 神の道化という舞台で自分の思いを伝えたんだろうと。伝えたい欲求は大きかったと思いますが、傍に居るおしゃべりのベジャールを前に尚更、自分は語るのが上手くないと感じたかもしれません。)
ニジンスキーは日本人野郎と呼ばれていたそうで、それはロシア人から見たら、東洋系に見えたのでしょうとのことでした。でも日本人には見えませんね。
知らなかったバレエの歴史についてもたくさん書かれていました。元々バレエは男性ダンサーが主体のものだったけれど女性にものになり、ニジンスキー、ヌレエフ、ドンの3ダンサーが男性ダンサーの存在力を高めたが、今現在も女性ダンサーが主であると。
「ニジンスキー、ヌレエフ、ドン」が男性ダンサーの力を高めたと書かれていたこと。ニジンスキーとドンについて作者は表現力のあるダンサーと見なしていることも嬉しかったです。
ドンも多くのノートを残したというので、読んでみたいですが、ベジャールさん処分しちゃったかなぁ。
ドンを知っている人がまだ多く生存しているうちに、誰か記録にして欲しいと思います。
輪廻を信じているわけではありませんが、ドンも自分とニジンスキーの共通点を多く見いだしていたに違いありません。鈴木氏もそう書いています。
ディアギレフの人となり、多くの策略のある実行者(春の祭典の初演は暴動が起きたそうですが、ディアギレフが謀ったそうで具体的に書かれていました)。
ニジンスキーの「牧神の午後」は極めて前衛的で、時代が進んだ後のベジャールの春の祭典の前衛さより革新的だったはずだと。