片づけと自己受容(1) 片付けられる自分になりたい!!!!  | 受容アロマで自己実現へ♪

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ずっと何かに遠慮して自分を生きてこなかったのなら、
今日から『私』を生きましょう♡

人生は変えられます。
ほんの少しの意識の変革と脳のくせを知ることで…

あらゆる可能性を秘めたあなたを開花させましょう

なりたい自分になれないが変化する 実践版 ということで

片付けられない!を手放し 片付けられるに変化するをちょっと私でやってみようということに(笑)

 

家族がいると自分だけではないこともあるので その家族との葛藤も含めてお伝えします(笑)

 

 

片付けるってどういうこと?

 

片づけ得意ですか?

 

私は大の不得意です。

苦手を通り越して ほぼできないと言っても過言ではありません。

 

片付かないものを見ていると 自己肯定感が下がるともいわれていますから 片付かないなんて百害あって一利なし!みたいなたばこと同じくらいやばいことみたいな感じ…ありますよね。

 

 

片付かないことの不利益はいくらでもかけるけれど片付かない事の利点はほぼ思いつかない。

 

 

片づける⇒

  整理する。分類する。

  ⇒ 

  分類したものを所定の位置に置く。

 

ということになります。

 

片付かないのは この整理する、分類するということが苦手というのも一つ。

 

居場所を決められない

居場所決めても そこがいっぱいになって溢れたらどうしていいかわからない。

 

 

 

片付かないのは確かに不便ですし、目に余計な情報が入りすぎて頭の中が混乱しやすくなる。

 

眼は その物を見ていますが 脳の中ではそれに関する記憶や感情を刺激します。

 

 

わかっちゃいるけれどできない、時間がない。

片付けるより先に自分が優先したいものがある。

 

 

 片付けと自己肯定と自己受容

 

片付いているのは確かに便利で快適なのです。

でも片付いていないのは ダメとか×とか言う必要はないように感じます。

片付いてないことと自己価値には何の関係もないのに。

 

 

片付いてない理由があれば OKというのも ちょっと違う。

 

自己肯定って理由が必要な感じ。

 

でも自己受容って 片付いてないねぇ・・みつからないねぇ 困ったねぇ

って流す感じ。

 

片付いていない自分でもいい 、見つからない自分でもいい。だけれど 今は見つからない。

 

片付けられない自分でもいいけれど 見つけやすくなってもいいかな?

そんなところから始まる感じ。

 

 

 

提出できない自分や困る自分、周りに迷惑をかける自分はいるけれど だからといって 自分はダメな存在ではないということ。

 

 

でも ダメなんだ と決めた体験、そしてその時の感情や思いが 自分を責め続けます。

 

自分をダメだと言い続けると ずっと続けて 自分を監視して 片づけさせることに意識を向けつづけることができますよね

 

過去に それくらい ちゃんと片付けなくてはと強く思った自分がいたということです。

でも その要求が高い。

ちゃんと片付けるに至るまでの要求が…

 

ちゃんとやらなくてはと強く思った自分そしてその思いにこたえようとした自分に愛を送り感謝をし ねぎらいます。

何度も挫折しながら挑戦し続けた自分に愛を送ります。

やり方を知らなかった、維持し続けることができなかった。

それも悪い事ではありません。

だって挑戦してみた!だけれど自分にはあっていなかった というだけですよね?

 

自分にとって必要なやり方を模索し、維持できる方法を模索するだけなんです。

 

その途中で自分にダメ出ししないこと。

それが 自己受容からのなりたい自分になる方法かもしれません。

 

自己肯定は すでにこうなるのが良いという事象があって

それができていると肯定されるという感じがあります。

そしてその理想とする姿になることを努力することを良しとしている感じがあります。

 

 

自己受容は どんな自分でもOKだという感じ。

 

どんな自分でも大丈夫だけれど 自分にこんなことを体験させたいからその準備したいな という変化でしょうか

 

どちらが良いというのではありません。

 

自己肯定でいいけれど それで詰まったら 自己受容を試してみる…そんなこともよいかな?と。

 

 

ということで 自己受容からの片付けれる女になる!を実践してみたいと思っています(笑)

 

 

片付けられないダメな自分という烙印を消して、
単に便利で利点が多いから片付けられるようになるぞ!というシリーズです。