昨夜はずいぶん、気持ちが落ちていていました。

 

 

 

一晩寝て、だいぶ復活。

でもまだ眠り足りないので、

もう少し寝ようかと思って時計を見てる、午前7:40。

 

寝落ちする前に、今、思ってることをつらつらと書いてます。

 

 

 

「自己開示」について、書いておきたい。

自己開示と、事故開示の違い、みたいな話につながるかも知れません。

 

 

 

  • 感情を綴る場所
  • みんな、どこかおかしい
  • 自己開示と事故開示の差
  • 受け取る人を意識する自己開示

 

 

 

感情を綴る場所

 

数年前から、いろんなことをブログに書くようになりました。

自分以上に「いろんなこと」をブログに書いている人を、見るようになりました。

 

自分の経験したこと、思っていること、のうち、

「言いにくいこと」を書くことを大事にしていました。

 

 

 

 

ただ、一定期間、それをやってみて、今、思うことは。

 

 

人に言えない「いろんなこと」なんて、

みんな抱えてて

それは別に言わなくてもいい

 

 

ってこと。

 

 

 

 

どこかで、こんな思いをしているのは自分だけだ、っていうエゴがあったんだと思います。

自分は人と違う、という先入観。

昔から、人になじめなかったから、「自分は変なんだ」という妙な思いこみがあったんです。

 

だけど。

 

確かにちょっと変わってはいますけど、大したことないんです。

本当は。

 

 

 

 

ことさらに「自分は変だ」と主張するのは、私にとっては、反抗期みたいなもの。

他者との違いの中で、やっと自分を認識できる、みたいな。

そうでもしないと、消えてしまいそうな自分を、無理やり作っている感じ。

 

そんなことしなくても、私は十分に変だし(笑)、十分に普通なのにね。

 

 

 

 

 

みんな、どこかおかしい

 

さて。

 

 

そんなことを思うようになってから、周りを見たら、結構みんな変なのよ♪

その辺の、おっちゃん、おばちゃん、にいちゃん、ねえちゃん、こどもたち、って、みんな、どこか「おかしい」。笑

 

みんな、そう。

言わないだけで、いろいろ抱えてるし、人に言えない経験だって山ほどしてる。

ちょっと話を聞いてみたら、ボロボロ出てくるからおもしろいですよね。

 

なぁんだ。

力が抜けました。

 

 

 

じゃあ、自己開示ってなんなんだろう?

って話になるじゃないですか。

 

言わなくてもいいなら、言わなきゃいいのかな、みたいな。

 

 

 

思うんですけど。

自己開示って、「相手との距離を縮めるためにするもの」ですよね。

その目的が達成されるならOKだし、そうならないならNG。

 

 

意外に簡単に、自己開示と事故開示って、見分けられるのかもしれません。

 

 

過去の私は、なんでもかんでも言うことが、良いことかと思ってました。

嘘をつくのは良くないことだと思っていたし、隠し事もよくないことだと思っていました。

 

そりゃ、なんでも言った方が「自分は」気持ちがいい。

 

でも言われた方は?

・・・この発想が、なかったのです。

 

 

 

自己開示と事故開示の差

 

逆を考えれば、わかりやすくて。

 

あんまり公に言わない方がいい、隠しておきたいことを言ったときに、

「相手との距離が縮まった」なら、それは自己開示として成功だと思うんです。

 

逆に、「相手との距離が離れてしまった」なら、それは事故開示なんじゃないかな。

 

 

 

例えば、どっかのおっちゃんが、昔のやんちゃを教えてくれたとして。

  1. 飲み屋のおねえちゃんになれなれしくしすぎて、はたかれた
    とかだったら、ほっこりするじゃないですか。
    これだったら「おっちゃんとの距離は縮まった」のかな、と。
  2. 昔クスリやってたけど、捕まったことはない
    とかいう話だったら、「え・・・?」ってなりません?
    いや、一応、それ、犯罪なんですけど、けど、けど、、、?
    みたいな。
    「おっちゃんとの距離は離れた」感じがします。私だったら。

これは作り話ですけど。

おっちゃんは、「2」の話は別に、しゃべらなくてもいいんですよ。

聞き手との距離は、縮まらないんですから。

 

 

 

結局、聞き手がどう感じるか? ってことが大事になるんですね。

 

聞いた人が、「ほっこり」「にっこり」「ほっ」「スッキリ」することか、逆に「ドキッ(悪い意味で)」「ぞっ」「グサッ」「ムカッ」っとすることか。

 

書くとき、話すときに、それを受け取った人がどう感じるかを考える必要が出てくる。

 

 

実はこれ、サイコパス気味な私には、とっても難しいことなんです。

だけどやっぱり私は、それを聞いた人の気持ちも大事にできる自分でありたい、と思います。

 

 

受け取る人を意識する自己開示

 

最後に大前提として。

 

黙っていることで自分の心がつらいのであれば、それは言った方がいいことです。

嫌なことをされて困っている、とか。

痛い思いをしていて、助けて欲しい、とか。

 

とくに、嫌なことをしてくる相手に直接言うのは勇気が要りますけど、仕方がありません。

それは自己開示云々ではなくて、「情報伝達」です。自分嫌だと思っている、という情報を伝える、というだけなので。

 

 

自分の心がつらくないように、言う。

これは、いつでも大事なこと。

 

 

そして、それに加えて、

言われた人の心がつらくないように、気を付ける。

 ↑

これが、受け取る相手を意識する、ってことですよね。

 

 

 

そして、これをブログで考えてみると、自分が読み手だったら「自分の心がつらくなる発信は見ない」んですね。私の場合。

 

だとしたら、自分の発信を見てもらうには?

 ↓

見てくれる人の心を楽にするのは当たり前、なのかな。

 

 

 

せっかく書いているブログですから、やっぱりたくさんの人に読んでもらいたいんです。

上手じゃなくても、大したこと書いてなくても。

だからこそ、読んでくれる人の心が楽になることを、大事にしたいなって思うのです。

 

 

 

二度寝前のボケた頭で、今思うことをつらつらと書いてみました。

この記事は、私と同じようにブログを書いている人向け、になるのかな?

何かのヒントになればうれしいです。

 

 

今日も、読んでくれてありがとうございました~

おやすみなさい・・・・(現在、朝の8:30)←

 

 

 

 

さわやかな南砺市の景色をどうぞ。