私が十歳くらいの頃、金曜日夜8時のプロレス中継を観るのが我が家のならわしでした。


時々親のきまぐれで太陽にほえろに替わる時もありましたが、大体はプロレスが流れていました。



その頃の私はまだ新日本や全日本の区別が分からなかったので、時々違う曜日に観る全日本プロレスの中継にいつものメンバーが出ていないのを不思議に思っていました。


そのいつものメンバーである金曜夜8時の面々のなかでも当時子どもの私の心に一番突き刺さったのはタイガーマスクであり、その敵役でした。



小林邦昭もそんな敵役重要人物のひとりで、オカッパ頭に赤いパンタロン、ムスッとした表情。そしてタイガーのマスクをビリビリに引き裂く悪辣なやり口がとんでもなく悪いヤツだ!とヒートアップさせられました。



それから時はながれ、私も次第にプロレスから離れて行きました。

それと前後してボクシングに興味を持つ様になり、いつしかテレビのゴールデンタイム放送もなくなって完全に忘れた存在となっていました。



そんな私が高校を卒業し、新聞奨学生として販売所の上に下宿する様になった1992年。朝刊配達を終えた帰りしなに寄ったコンビニでたまたま目についた週刊ゴングを立ち読みしていると、そこには小林邦昭がダーン!とカラー一面で載っていました。



「おー!小林邦昭やんびっくりまだやってたんやー」



私は懐かしくなりそのゴングを買い求め、それからは空白を埋めるかの様にプロレスに夢中になりました。



ちょうどその頃の小林は木村健悟や越中詩郎らと反選手会同盟というユニットを組んでいて、このメンバーの面子が主流から外れたいわゆる窓際的存在で固められていた事。

そしてそこにかつてタイガーマスクの敵役だった小林が入っていた事に心を惹かれ(むかしから私はあまのじゃくなのでクルマはトヨタより日産、野球は巨人より阪神…という感じで主役よりそれに対抗する者に惹かれます)て行きました。



当時新日本プロレスに乗り込んで来ていたWARの天龍源一郎に立ち向かう彼らの姿にもしびれました。


この頃の天龍は巨大な油粘土の塊の様な屈強な体躯で、まだ純粋だった私は天龍がペラペラの(天龍比)木村健悟や越中の胸板に逆水平チョップをバチーン‼️と入れるのを見て本気で壊れるんじゃないか?

と心配していました。



私のなかに眠っていたプロレス魂に再び火を灯してくれたのは間違いなく彼らの存在でした。



1992年のコンビニで週刊ゴングが目に止まらなければ、そして小林邦昭がカラーグラビアにいなければ…

私が90年代あれだけプロレスにハマる事もなかったと思います。





※虎ハンター小林邦昭。マスクマンのマスク剥ぎというのはタブーでありながら心ときめいてしまう‥
そんな魔力があります。