疲れた。


夕方17時から4試合タイトルマッチ。

すべて判定。ダウン回数一回。


そのなかで坪井智也が南アフリカのリカルド・マラジカに1-2の判定負けした試合について書きたい。


先日、何もさせないで勝つ。という話をブログで書いた。ジムにお膳立てをして貰い、強い王者が去ったのを見計らい、そしてそれなりの対戦相手を日本に連れて来て王座決定戦を闘い、新チャンピオンになる…

こういう試合で何もさせないで勝つ事にどんな価値があるのか?それで本当にいいのか?
そう思いながら坪井が入場して来るシーンが映るテレビ画面を見つめていた。

何が面白いんだ?
笑顔。笑顔。
ニヤニヤしながらリングへ歩を進める。
時おり知り合いが居るのか、観客席にまで入り込んで笑顔。
ポマードでベッタリ固めた髪型を気にしながら、リングへ上がっても満面の笑顔。村田諒太の影響か?

ちなみに私は去年の6月と11月のブログでも坪井のニヤニヤについて書いている。



坪井の自己暗示なのだろうか。
いや、ハッキリと対戦相手を舐めているのだと思う。
何故なら試合が始まり、最初のラウンドでいきなり流血したものの、ラウンド終了時にマラジカがコーナーを間違えて戻った時はまだ満面の笑顔だったが、ラウンドが進みマラジカの自在な伸びるジャブが坪井の前進を止めコンビネーションを浴び出すと、その笑顔が引きつり、次第に真顔になり、そして不安気な顔へと変わって行ったからだ。

私は坪井がプロデビューした時からこの余裕綽々の笑顔と態度が釈然としない。
ちまたのボクシングファンの声をひろうと、彼はとてつもなく強い。らしいが、私が観て来たプロ入り後の試合でピンと来るものはない。
なにしろ対戦相手に強いボクサーが居なかったからだ。

クアドラスもゲバラも10年前に強かった過去のボクサーだ。
これでジェシーロドリゲスへの挑戦が実現していたなら、私は結果に関わらず坪井を評価していたと思う。
が、現実には如何なる理屈であれ王座返上狙いとなってしまった。しかも明らかに相手の力量を見誤り負けた。

強いとか弱いとかでなく、ボクシングファンとしてこんなにつまらないボクサーは居ない。 


そのむかし韓国に金光善というボクサーがいた。
ソウル五輪金メダルと数々の国際大会での実績を引っ提げ、プロ6戦目で世界タイトルに挑んだ。
しかし金は坪井とは違った。挑んだ相手がチキータゴンサレス。言わずと知れた歴史に残る名ボクサーだ。金は終盤までポイントでリードしながらチキータに逆転のノックアウトを喰らう。
のちにチキータのライバル、マイケルカルバハルにも挑み、そして散った。
結局金がプロで世界を獲る事はなかったが、30数年の時間が過ぎてもなお、私の様な異国のボクシングファンの記憶に刻まれている。
坪井は金の歩いた道と違い、2026年の現代らしいノーリスクでコスパの良いプランを歩いたにも関わらず、結局負けた。

結果論でそらみたか!と私が書くのは自分で言うのもなんだが、大変珍しい。ま、それくらい坪井のプロボクシングに対する姿勢にクエスチョン‥いや嫌悪感を抱いている…という事だ。

その鼻っ柱をこの敗戦で叩き折られ、泥臭くまた這い上がって来るのか?または新たなコスパの良いプランで何処かしらの世界タイトルを獲らせて自己満足に浸るのか…?

彼を見ていると金光善よりかつてゴールデンルーキーと呼ばれた金内豪と重なる。
彼がお客を相手にするプロの世界で選手を続ける限り批判し、良ければ称賛もし、見届けたいと思う。


世紀の一戦。


どんな規模の興行でも宣伝として安直に使い古された文句だが、格闘技ファンにとってはいつも心踊らされるキャッチコピーだ。


同じ時代にズバ抜けた選手がひとりでなく、

ふたり列び立ち、対決が決まった時この看板が使われる。

その意味で同じ時代でも選手のピークが大きくずれた場合には似つかわしくなくなる。

私のなかではそう思っている。


私がボクシングを観る様になってから世紀の一戦はどれくらいあっただろうか?

井上拓真VS那須川天心の再戦をまえにふと考えていた。


ちなみに拓真那須川は私のなかでは世紀の一戦ではない。

ではどんな試合が私にとってのスーパーファイトだったのだろう? 思い出したまま自分がリアルタイムで観て来た世紀の一戦を時系列で並べてみたいと思う。


1988年

マイクタイソンVSマイケルスピンクス


1991年

イベンダーホリフィールドVSジョージフォアマン


1994年

薬師寺保栄VS辰吉𠀋一郎


1996年

マイクタイソンVSイベンダーホリフィールド


1997年

イベンダーホリフィールドVSマイクタイソン


1999年

オスカーデラホーヤVSアイククォーティー


2001年

ナジームハメドVSマルコアントニオバレラ


2008年

オスカーデラホーヤVSマニーパッキャオ


2010年

長谷川穂積VSフェルナンドモンティエル


2011年

ウラジーミルクリチコVSデビッドヘイ


2015年

ウラジーミルクリチコVSタイソンフューリー


2017年

ゲンナジーゴロフキンVSカネロアルバレス


・・・



と書いて来たが、

本当に世紀の一戦と呼びたいのはもっと限られる。

だいたいそんなに毎年毎年行われていたら、それは世紀の一戦では無いではないか。


以下が私の中の世紀の一戦だ。


①1994年

薬師寺保栄VS辰吉𠀋一郎


②1996年

マイクタイソンVSイベンダーホリフィールド


以上二試合。


薬師寺辰吉に関しては、何年間も待ち望まれた夢の対決ではなかった。

そしていずれもが当時の同階級で最強の存在ではなかった。

さらに辰吉が眼疾でブランクを作らなければ、薬師寺と同じ土俵には上がらなかった、交わらなかった、元々誰も期待していなかった一戦だ。

その意味では特殊だが、当時の雰囲気と緊張感は、その後のどの日本人世界戦でも感じる事はなかった盛り上がり方だった。


そしてタイソン・ホリフィールド。

これこそ私たち世代のボクシングファンが、私たちよりひと周り上の世代のファンが観て来たキンシャサの奇跡やアリ・フレージャーに比類すると断言出来るスーパーファイトだと思う。


試合が実現した時、ゴングが鳴り、タイソンとホリフィールドが同じリングで向かい合っている姿を観た時、「これは夢ではないのか」?と思わず独り言を呟くくらい奇跡の遭遇であった。


薬師寺辰吉。タイソンホリフィールド。

思い入れある試合は数あれど、この二試合こそが

私の世紀の一戦だ。
























圧倒的に勝つ。何もさせない。世界は単なる通過点・・・

下馬評でも勝ちは間違いなく、むしろ勝ち方に注目が集まる。


それだけ“強い”のに、“強いチャンピオン”に挑む事はほとんどない。いや、むしろ真実は強い王者の王座返上後の決定戦狙いである。


勝つのが当たり前の相手に圧倒的パフォーマンスを披露し勝つ。

これ、何処に面白さがあるのだ?


野球でも仮にどちらかのチームが間違いなく勝つ対戦があったとして、いったい誰がそんな試合を見たいのだろうか。

だが現代プロボクシングの世界戦では少なくない割合で遭遇し、それが堂々とまかり通る。


勝負論が成立しない位に差のある相手に何もさせないで勝つって、そんなにスゴくて価値がある事なのだろうか。

よくよく考えてみればこれをファンが有り難がっているのも不思議な話だ。



※9月に入ってからスッキリしない空模様が続き、
公園にもU.F.O.の編隊が着陸している。







昔は漫才やお笑いが好きで、子供の頃は花王名人劇場やお笑いネットワーク、モーレツしごき教室、ABCミッドナイト寄席、ポップ対歌謡曲などの番組を観て聴いていた。


中田ボタンさんの訃報を聞き、カウスボタンの漫才を思い返し、それと同時に上記の番組をかじりついて聴いていた頃の漫才師や落語家、芸人が次々とよみがえって来た。


当時は横山やすし西川きよし全盛時代。

漫才ブームもあって演芸番組が無数にあった。

一番好きだったのは太平サブローシロー。

この二人はいずれ、やすきよみたいな存在になる。と私は信じて疑わなかった。本当に面白かった。

サブローも良かったが、シローがまた上手かった。


いつだったかラジオでサブローシローが一時間漫才に挑戦する番組があり、私はラジカセの前でテープに録音しながら夢中で聴いていた。彼らの絶頂期だった。

しかし彼らがやすきよになる事はなかった。

時代のお笑いはいつの間にかダウンタウンらを始めとする現在に続くスタイルへと姿を変えていた。



上方お笑い大賞で毎回毎回ゲストの生恵幸子が往年の人生幸朗との夫婦漫才のVTRで涙を流していたのや、お笑いネットワークでレツゴー三匹や横山ホットブラザーズ、三人奴、フラワーショウらのトリオや音曲漫才を見て親しんだのも懐かしい。


いとしこいしがそうだったが、彼らの芸は素人がマネ出来る特徴が際立っていた。

だからこそ長く観ていない私でも未だに名前を聞くだけで彼らの舞台が鮮やかに浮かんでくる。

カウスボタンもそんな漫才師だった。

毎回同じ事をしゃべっていても、奇をてらったパフォーマンスをしなくても、ボケとツッコミの喋りだけで笑わせられる。


ドリフターズや欽ちゃんも含めて、いい時代に漫才やコントを身近に接する事が出来たのは幸運だった。





※香川登志緒 著「てなもんや交遊録(昭和49年刊)」より。




昨日の藤川監督試合後のインタビューを見ていて、誰かに似ているな‥と考えていた。


冷静さを装い、淡々と第三者目線で語ろうとする。

賢そうに、語彙が豊富で、俺は物事を解っている。綺麗な言葉、美しい文法でもっともらしく聴こえる様に話そうとする。



誰だろう?あ。村田諒太だ。



村田も藤川と同じく、簡単な話を難しく語ろうとする。で、結局何がいいたいん?となる。

実は中身があまりない。


そういえば藤川と村田の解説の声のトーンや話し方までよく似ている。



その藤川が監督就任後に好んで使う凡事徹底。

私は藤川がこの言葉を使う度にもっと本音でストレートにモノ言えばいいのに。

「負けに不思議の負けなし…」と同じで、ちょっと覚えたら馬鹿の一つ覚えみたいに使いたがるなよ。と思う。


村田も先日Instagramの広告インタビューに出ていて見たら、

「挑戦とは俺は挑戦しているんだ!と綺麗に飾り付けしたいから挑戦という言葉を使う…うんたらかんたら…」

とまた回りくどく小難しそうに話していたので、

引退しても相変わらずだな。と途中で画面を閉じた。



※自分の言葉に酔っている。


いくら言葉がカッコ良くても、そこにその人の熱や心がストレートに伝わってこなかったら、そんな言葉になんの意味もない。


藤川は凡事徹底と唱えながら、そのじつ藤川がいちばん凡事を徹底していない様に感じる。

それがいまの阪神が窮地に陥っていても何も出来ずメドゥーサに睨まれて石の様に固まったままになっているチームの采配と展開なのだ。


残り16試合。言葉遊びでなく、もっと熱く、もっと泥臭く、しがみついてでも勝ちに喰らい付くハートを見せてくれ。



※言葉に心がない。なにを言っているのか分からない中身の無いコメントと采配は無関係ではない。
矢野監督時代に幾度のチャンスを潰してきた打率0割台の糸原を満塁のチャンスで使い併殺打というのが象徴している。