9月に行われる世界タイトルマッチ、

5試合のうち4試合(暫定含む)が王座決定戦。

唯一の拓真天心2も初戦は決定戦だった。



王座決定戦自体はむかしからある。

しかし、この10年程に限るとひょっとしたらそれまでの累計決定戦の数を上回るのではないだろうか?

それほど頻繁に決定戦の文字を見ている気がする。



決定戦が悪い訳ではない。

いや、やはりチャンピオンに挑み奪取する方がいいに決まっているが、たまにだとそれほど気にならなかった…と言った方が良いか。


まあ目立つ様になった。

しかも強い王者が返上した後ガマ狙い。

当の本人や関係者からすれば、のちに元世界チャンピオンと元1位ではまるで価値が違うのだろうが、観ているこちらからすれば、そんなものはどっちでも大して変わらない。


世界を獲れなくても心にずっと残り続けている名ボクサーもいれば、世界チャンピオンでもまるで印象に残らない凡ボクサーも数多くいる。


近年世界チャンピオンベルトの価値はそこまでありがたみが失くなってしまっている。と私は思う。


世界チャンピオンになる事が夢…

防衛は夢のまた夢。複数階級制覇や王座奪還などその先の先の物語だった時代とは違うとは言っても、決定戦で安易にチャンピオンとなり、返上し、また上の階級で決定戦に出て複数階級制覇?

と言われても…


プロボクシングの世界チャンピオンって一体なんなんだろう?


先日書いた様に、平岡アンディや佐々木尽がJr.ウェルターやウェルターで世界挑戦に漕ぎ着ける事すら困難なのに、軽量級は安易に、簡単に、サクッと“世界戦”が決まるのを見せられていると、


いったい俺達は何を見させられているのだろうか?



と思わざるを得なく、無邪気に勝敗予想レビューを書く気には到底なれない。

嫌なら観なければ良いのだが、私はボクシングが好きなので、今のこのイビツな状況を是とする風潮には声を挙げ続けて行く。

この発展の方向はどう見てもイビツだと思っている。


たとえ辺境のいちブログだとしても、のちに‥

三十年後くらいに、時の好事家が衰退したボクシングの歴史を振り返った時に

「ああ、決定戦が乱発されていた2026年にこんな異を唱えていたファンも居たのだな…」

と見つけてくれるかも知れない。


と期待しつつ・・・






7月が過ぎてゆく。

暑い。特に部屋のなかの暑さはクーラーが壊れたのか?と思う位だ。


エアコンクリーナーを掛け、フィルターを洗い、室外機も綺麗にした。やる事はやった。

8月もフル回転になるが頑張って欲しい。

ま、14畳用で複数の部屋を冷やそう…という私の考えが間違っているのだろうが。


そんな寝付けない夜に昨日購入したボクシングビートの世界ランキングを眺めていた。

さらに暇をもてあまし、現在の日本人と日本のジム所属選手のランカーを数えてみた。

以下、私の書き込んだ表である。汚い文字は御容赦を。



まずミニマム級~バンタム級。



ランキング表が15位までしか載っていないので、

WBC等のさらに下のランカーは割愛している。

**/15の**が日本選手の人数(Cは世界王者)。

居ない階級は単純に0と記している。



スーパーバンタム級~ウェルター級。


スーパーウェルター級~ヘビー級


これを見てマニアの皆さんはどう感じるだろうか?


あれ?意外と少ないな。或いは、

なんや?メチャクチャ多いやん!

か‥


私は軽量級も意外と少ないな‥と感じた。

IBFのスーパーフライ級やWBA.WBCのバンタム級の様に3分の1以上占めているクラスもあるが、それでもこうして全体図を見ればそれほどでもないな‥と。



井上尚弥の居るスーパーバンタム級、フェザー級を境にランカーの数が減る。

そしてスーパーライト級からガクン!と居なくなる。

ここから先は限られた選手が稀にランクインするだけの世界だ。



こうしてランキングに書き込んでいて私はふと思った。

ミニマム~バンタム(井上のスーパーバンタムは外す)の軽量級で、日本人以外の選手の方が数の上ではまだ多いのに、そのほとんどが日本での開催、または日本人同士によるタイトルマッチ、日本人が出場する王座決定戦ではないのか?

という事である。


同時に、フェザー級から日本人が挑戦者としてタイトルマッチのリングに上がる事が難しくなり、さらにスーパーフェザー級→ライト級→スーパーライト級‥ 

と階級が上がるにつれ、もうほとんど数年‥

いや、数十年に一回のレベルでしか絡む事すら出来なくなっているという現実にもあらためてこう思ったのだ。



かつて‥ 

私が生まれるもっと前、日本人が世界ランキングに入る事すら一大事だった1950年代。

あの頃の軽量級の日本人選手の状況と、現在のスーパーフェザー級以上の中量級(厳密にはスーパーライト級以上だが含む)における状況が同じなのではないのか?と。


つまり日本はずっと軽量級に取り残され、それ以外の多くの地域はより上の階級へと主戦場を移した、あるいはその国のボクシングが衰退(韓国の様な)し熱が失くなってしまった。

結果的に日本だけが軽量級に力を注ぐ状態になり、現在の名前も覚えられない様な世界チャンピオン大量生産と日本人対決&決定戦の乱発の結果になってしまったのだ。


その意味でスーパーライト級以上の日本人選手の現状だけを見れば分かるのだが、プロボクシングの世界タイトルはむかしと同じ様に高く険しい存在であり、そちらの方が正常‥いや、スタンダードなのだと私はいま思っている。



スーパーバンタム級以下の階級における日本以外の世界の現状。それはもはや、日本以外の地域はみな立ち去った無人島状態になっていた場所であり、そこを日本が占拠し旗を立て、独立宣言しただけなのだ。つまり世界は

「軽量級?ああ、お好きにどうぞ」と。



軽量級アイランドを囲む海の向こうには60年前と変わらず険しい世界の山々が連なっているのか・・



と、そんな事を考えながら8月を迎える。




ガッツ石松を見たくて購入したボクシングビート。
が、しかしまた井上だった。日本人初ライト級世界王者を表紙にしなかったボクシング専門誌とガッツを一面にしたスポーツ新聞。
外側の人間の方がその価値を解っていた‥という事か。















ケイちゃんにガンプラを教えてもらった私は、

以後ガンダムにのめり込んで行く。


ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして」という歌がある。エリーゼのためにをアレンジした歌で、

いまでもラジオから聴こえると、この伊丹でのガンプラ生活を思い出す。

街にこの歌が流れていた‥そんな時代だった。


当時はジョーシンもただの電気屋で、梅田にヨドバシカメラもなく、ましてプラモデルなど扱っていなかった。

かわりに模型店やおもちゃ屋が無数あり、品薄のガンプラを求めてさ迷い歩いた。



私の行動範囲で覚えている模型店、おもちゃ屋を挙げると、阪急伊丹駅前にはニチイの一階にタダヤというおもちゃ屋があった。

ここは市内でも屈指の店で、狭かったが常に新しいモノが出ると真っ先に入荷していた。

のちのファミコンブームの時も先ず最初に店頭にディスクシステムの書き換え機を置いたのはタダヤだった。


MSVというテレビで出て来ない設定上のメカ(モビルスーツ)をプラモ化した時に私はたまたまタダヤに来ていて、店のおじさんが

「入ったばっかりやけど先に見せたるわ」

と、私をレジカウンターの中に招き入れ、これや。と渡された。




いままで見た事のない渋いパッケージ。

後ろ姿というのは子どもながらに衝撃を受けた。


「まだ店に並べてなくて、これ一つしか入荷してないけど買う?」


と聞かれ、お金は持っていたので心惹かれたが、幼くミリタリーよりハデさに惹かれていた私は、当時レア物だったGアーマーというメカのプラモも入荷していると知り、これは買わずそちらを選んだ。



※子どもの私にはこちらの方が魅力的だった。


翌日学校へ行くと、私が買わなかったMSVを買った子が誇らしげに自慢し、みんなのヒーローになり、私は悔しい思いをした。

結局縁が無かったのか、いまに至るまでこの最初のMSVザクⅡは買えないままだ。

再版されているみたいなので、機会があれば43年越しに今度は購入したいと思っている。



ニチイを中心に東側に長崎屋。西側にケイちゃんがガンキャノンを買ったジャスコがあったが、特に長崎屋の方はおもちゃも他所では見ない珍しい(変な)ラインナップが目立ち、プラモもガンプラ品薄の当時、ダグラムやイデオン、そしてザ・アニメージというガンプラの紛い物みたいなのを大量に並べていた。


※ザ・アニメージ。アニメ化していないのに何故かセル画やミニ漫画まで入っているサービス精神満点のプラモ。


デパート以外では駅前から西へ少し行ったところに「ガドー」という模型店があった。

ここはとても思い入れのある店で、ネットで誰かが書き込んでいないか?と度々検索して来たが引っ掛からない。

ならば私が自分の記憶するガドーを記録しておきたい。


仏壇の浜屋の並びにあった店はレンガ造りの外観。ガラス扉を開けると縦に長い店で、左側にプラモデルがズラリと並んでいて、右奥手にレジカウンター。


店内は他の店にはない純喫茶の様な薄暗い間接照明。

プラモデルが並ぶ棚だけがライトアップされ、ラインナップの大半は戦車や飛行機・戦艦やクルマ等スケールモデル中心だった。

ガンダムやアニメのプラモは申し訳程度だったが、店主がティアドロップのサングラスを掛けた野坂昭如や荒木一郎風の渋い人で、子どもの私達にもフランクで優しかった。


ある日、私がガドーを訪れると、店主が

「僕。今日ギャンが入ったよ。」

とプラモデルをカウンターのガラスケースから出してくれた。

しかし隣で店主と話していた青年が旧ザクという中々見ないプラモを手にしていて、ギャンよりどうしても旧ザクが欲しい私は、


「ギャンだけなん?旧ザクもあるんちゃうの」?


と、店主に迫った。

「ないよ~!うちに入ったのはギャンだけや」


「ウソやろ?なかに隠してるんとちゃうの」?


と私は旧ザクを探そうとカウンター奥のバックヤードに入り込んだ。

当然旧ザクはなく、店主はしゃあないヤツやなあ…と私の頭をポンと撫でて「な?無かったやろ」と怒る事もなく笑って許してくれた。




模型屋の店主はバイク屋なんかと同じでヘンコな人が多く、当時他所の店では怒鳴られたり理不尽な態度を取るところが何軒かあった。

そんななかガドーは大人の社交場という雰囲気だったが、子どもも気楽に入れ、何でも話せる貴重な店だった。


私が高学年になり次第にガンプラから戦車や戦艦に興味が移ったあとはガドーが行きつけになり、店主にも色々と教えてもらった。

しかし中学に入り喘息が悪化。学校も休みほとんど引きこもる様になってからは足も遠のく。

そして私の両親が相次いで他界し、三田のサナトリウムに入所する事になり生まれ育った伊丹を離れた。


25年以上前のミレニアムの頃、ガドーが懐かしくなり伊丹を訪れた事がある。

しかし既にガドーはそこには無かった。


私が伊丹を去ったその後、ガドーがいつ頃まで在ったのか…?

いまとなってはまったく分からないが、もし御存知の方がこのブログを見つけたら…

是非思い出話を聞かせて頂きたいと思っています。


ガドー以外の当時の伊丹の模型店、おもちゃ屋の話はまた別の機会に書いてみたい。




※最近のAIは凄い。こんな感じの店だった…
と入れると直ぐにイラストにしてくれる。
この絵はもう40年以上前の私の記憶に残るガドーにかなりイイ線行っている。

40年ぶりにプラモ製作が日常に帰ってきた。

そんな私が一番熱中していたのは昭和56年(1981)から61(1986)年辺りだ。


始めた当時は空前のガンダムブーム。

兵庫県の伊丹に住んでいた私は小学3年生だった。

ガンダムを知るきっかけになったのは、夏休みに近所の長屋に住むケイちゃんという5つ歳上のお兄ちゃん(他人)の家へ遊びに行った時だった。


ケイちゃんに朝御飯がわりのサッポロ一番塩ラーメンを作ってもらい、当時関西で朝に放映されていたど根性ガエルの再放送を一緒に食べながら観て、床に転がっていた漫画のアストロ球団を手に私はゴキゲンだった。


夢中で読んでいたらケイちゃんが

「いまからプラモ買いに行こう」

と言い出し、言われるがままケイちゃんの自転車のうしろに乗って阪急電車伊丹駅の西側にあったジャスコへと向かった。


まだ開店前だったジャスコの前には既に何人かの子どもたちが並んでいた。

ガンダムブームを知らなかった私はよく解っていなかったので、何かのイベントでもあるのかな?と思っていた。


そして開店。

すると並んでいた子どもたちが一斉に入り口の正面にあるエスカレーターに向かって走り出した。

地下にはライフというスーパーが入っていたが、みんなは上に駆け上がっている。

ケイちゃんも走り出した。

私も何がなんだか解らないけどとにかく走ったのを覚えている。

フロアに着く度にクルッと回りケイちゃんのあとを追ってエスカレーターを駆け上がる。

しかしケイちゃんは速い。肥満児だった私はフーフー言いながら付いて行く。


かなり階を上がったところでみんなとケイちゃんはフロア真横にあったおもちゃ売り場へと吸い込まれた。

一番奥にあった棚の前にみんなが群がっている。


「くそ」!


「これだけかー」!!


みたいな声がする。

私は汗だくになって何を言っているのか?まったく理解していなかったが、目の前のプラモデルの棚には紺色と朱色の箱が山積みになっていた。


「なんやろこれ」


ぼーっと眺めているとケイちゃんが、


「◯◯ちゃん!どっちがエエ」?


と私に訊いて来た。


「どっちって」??


紺色の方の箱には足が無く口を埴輪みたいにポの字に開けたロボットの絵が描かれていた。


「なんや変なロボットやなあ~」


なにも解らない私はそう感じていた。




もうひとつの朱色の方は両肩から 大砲が生えていて、眼がゴーグルの様になって子供心にカッコ良かった。



「こっち」


私は大砲にゴーグルのロボットを指さした。

二種類しか置いてなかったので他に選択肢はない。

ケイちゃんは朱色の箱を抱えてレジへと向かった。

すでにあれだけ群がっていた他の子どもは誰も居なかった。


買ったプラモを私に持たせてケイちゃんは来た道をまた自転車で走り出した。


家に戻った私たちは扇風機の前に座り、箱に貼られた包装紙を剥がしてフタを開けた。


するとなかには箱絵の大砲が生えたゴーグルロボが入っていた!




訳ではなく、枠につながったバラバラ部品が透明のビニール袋に包まれている。


「あれ?これバラバラやん」


私はそう訊いたと思う。


ケイちゃんは


「あたりまえやんか。プラモやねんから」


プラモ???


私はこれを超合金の様に箱のなかに発泡スチロールに囲まれて完成したロボットが鎮座していると思い込んでいたが、どうやら違っていたみたいだ。


プラモ自体はこの数年前にトラック野郎のハデなデコレーションを施したのを親にせがんで作ってもらった事があったので知っていた。


「あれとおんなじかー」


思い直した私は、手にしたバラバラをしげしげ見た。よく見たら顔や大砲、手や足が枠にキチンとくっついている。

ケイちゃんは「一緒に組み立てようや」

とビニールをベリベリと破り、中のバラバラを取り出した。



くさっ!!!


ケイちゃんは筒型のビンに入った先に刷毛が付いたベタベタの液体を、爪切りで切り取ったバラバラに塗る。

接着剤の匂いはトラック野郎の時にも嗅いだのを思い出した私は、ケイちゃんの言われる通りにそれを貼り合わせる。

指にベタベタが着いて貼りにくい。


「ちゃうやんか。それ右手や」


ケイちゃんが優しく直してくれる。

指に付いた接着剤で指紋だらけになったそれは、

次第に形を現して来た。


「おー!顔出来たな」


でもゴーグルの部分は箱の絵みたいに緑色になっていない。真っ白だ。


「これ色ぬらなアカンねん」



マッキーを渡され、私はゴーグルを緑に塗った。


そうして完成した朱色のロボット。



「ガンキャノンっていうんか」


「これあげるわ」



ケイちゃんはふたりで完成させたガンキャノンを箱になおし、ボロボロのアストロ球団第二巻とともに私に渡した。


嬉しくて、家に帰ってからもひとり完成したガンキャノンを机に立たせて眺めていたが、よく見たら右と左の足が逆さまだった。


私が初めて作ったプラモデル。

今でもガンキャノンを見ると、もう今は何処で何をしているのか分からないケイちゃんとともに思い出す。


これをきっかけに私はプラモの世界にハマり、ガンプラブームの強烈な洗礼を受ける事になるとはこの時は想像もしなかった。



※阪急電車伊丹駅の西側にあったジャスコ伊丹店(伊丹セントラルプラザ)。
伊丹駅改札口から陸橋で直結していた
阪神大震災で大きな被害を受けて閉店。現在はJR伊丹駅前に巨大なイオンモールが出来ている。





暑い!!!

いま午前3時36分現在の気温33℃。

この時間でこれは流石になかなか無い。


そんな暑い夜に私はプラモデルを作っている。

去年の年末ごろから定期的に作り出したのだが、

体力的な問題があり、中々遠出が難しいという事(ボクシング観戦・旅行等)で始めた。一度組み立てて完成させると、これが面白い。

元々子どもの頃は夢中になっていたものなので、

やはり身体が覚えているのだろう。すでに40年のブランクはほぼ失くなりつつある。


ペースとしては月に一体。

やはり塗装に時間が掛かるのと集中力が長時間続かない。

ま、せいぜい二時間続けば良い方だと思う。

あとこれは本当に痛感させられているのだが、

老眼の進みでルーペが無いともはや説明書も読めないし、小さな部品に色を塗る事も出来ない。

むかしは米粒みたいな部品でも見落とす事はなかったのに‥


※1/60ガンダム&ザクに付属のアムロとシャア。

面相筆で塗装(ルーペ必須)。


再開してからは、主にガンダムのプラモ(ガンプラ)を作っている。

最近は色を塗らなくても初めからパーツ自体が色分けされていて接着剤も要らず、しかもプロポーションや可動も抜群と進化しているが、私が好むのはむかし自分が作った、あるいは作りたかった昭和時代の無骨なガンプラの方だ。


もちろん色分けもほぼされていない。

接着剤を塗って組み立てなければならない。

それなりに見映えさせるには塗装は欠かせない。

手間は掛かるが作りごたえはある。

先日は1/60スケールのシャア専用ザクとガンダムを続けて完成させた。

これは全長30cm近くあるかなり大きなモデルで、当時のラインナップの中では最大のものだ。

定価2000円。小学生だとお年玉でしか買えない憧れのフラグシップモデルだった。



ガンダムは元々目が光る仕様では無いので、目をデザインナイフでくり抜いてプラ板を貼り付けた。
ライトはLEDでなくムギ球を使用。


※光が漏れない様に裏側にアルミテープを貼る。




配線はタミヤの電池ボックスにハンダで固定。
当初ボックスを胸の中に収めようとしたが大き過ぎて断念。割り切ってランドセル代わりに背中へ取り付けている。

ビンバイスで穴を開け、土台のプラ板を貼る。
ネジの代わりにプラモの枠を差し込んで接着剤を流し込み完全固定。



完成したガンダムとシャア専用ザク。

とにかくデカいので、塗る作業に一番時間が掛かり、特にガンダムの方は塗料のホワイトを3本も使った。

それだけに完成した喜びは大きい。

アニメの2次元に忠実に作ったので、リアル感は出していない。

また気が変われば追加で汚し塗装するかも知れないが、当分このサイズのモデルは懲り懲りだ。