私が十代後半か二十代のはじめの頃に読んだ記事で印象に残っている文章があります。



もうなんの雑誌か本だったのか忘れましたが、拳聖シュガー・レイ・ロビンソンが生活の為にカムバックした事について、どうか晩節を汚さないでほしい‥

と書き立てた新聞記者に対して、


「私はあなたがたには珈琲の一杯すら御馳走になった事はない。そんなあなたがたにとやかく言われる筋はない」。


という話で、若かった私にはまだよく分かりませんでしたが、いまの年齢になってみるとなんとなくですが、シュガーレイの言葉が解る様な気がします。

ま、私自身は何か功を成した人間では無いので本当になんとなくなんですが。



若い頃の私は、無敗のまま引退していたのに人種問題で駆り出され、ジャックジョンソンにこっ酷くやられたジェームスジェフリーズや、晩年のアリ、そしてボクシングから「昔の名前で出ています」路線のプロレス異種格闘技戦に出たレオンスピンクスとデュランらを見て、


「なんてもったいない!せっかくのボクシングでの名声が台無しだ」



と思ったものです。

でもいまはそんな彼等の姿が逆に人間味があって魅力的に感じる様になりました。

それがきっと先に書いたなんとなく解るという事なのかな?と思っています。



中田英寿の様に若くして去って行くのと、三浦知良の様に還暦間近でボロボロになるまでやり通すとではどちらが賢く生きているか?

と言われれば中田ヒデなんでしょうが、なんというか。人間の深みという見えない部分でヒデにはコクが無い様に感じますし、カズには熟成された味を感じる。


観ている側の勝手な思い込みかも知れませんが、話を聴くならヒデよりカズの話を聴いてみたいし、野球で言えば松井秀喜より清原や江夏の話を聴いてみたい。


その意味でも先日マニーパッキャオが格闘技イベントのRIZINに出場し、見る影もない動きを観て淋しい気持ちも少しはありましたが、それよりもあの姿こそが現在の45歳マニーパッキャオなんだ!と、むしろカッコよく感じるのです。


しょせんはカネを稼ぐ為? 大いに結構。



かつてのヒーローの晩年の衰えた姿や、あるいは醜態を晒すと言われる様な事も含めてそれが人生だな‥

といまの私は思っています。



作家の安部譲二さんが若かりしころ、米軍の慰問に来日した晩年のジョールイスを目撃したのを自慢していた様に、私も老パッキャオがリングに上がる姿を目の前で観てみたかった!





※デブになって太鼓腹を隠すTシャツで戦う石の拳もまた人生。
それも含めてのロベルトデュランなのです。

※パッキャオがカネの為に格闘技のリングにあがるのもまたヨシ。