マニーパッキャオが日本のリングに上がる。



この報を聞いて多くのボクシングファンや格闘技ファンの反応を読みましたが、おおむねのファン‥

特にボクシングファンはあまり好意的ではない様です。



私はボクシングもプロレス&格闘技も同じ位に好きなのですが(プロレス&格闘技の方は懐古趣味で20年位前にリアルタイムは追わなくなりましたが‥)、

その私が思うに、日本のファンはどちらのジャンルもですが、どうもクソ真面目というか、遊びや余興的な事にでも真剣さを求め過ぎる様に思えます。



私はパッキャオがRIZINに出るのもエキシビション的なものだと思うのですが、ボクシングファンはパッキャオが小遣い稼ぎで晩節を汚している!

格闘技ファンは鈴木がボクシングルールの試合をしてなんの意味があるんだ!?

という感じで…


この真面目さが日本のファンの良いところでもあり、プロレスに関して言えば(格闘技含む)完全にショーアップされたアメリカンプロレスとは一線を画し、独特のグレーゾーン的な勝負論を生み出していまに語り継がれる名勝負を作って来ました。



しかし一方ではこの頑なな勝負論へのこだわりがボクシングの側では、ボクシングは他の格闘技とは違う崇高で歴史あるモノだ!という選民思想になり、柔軟性を欠く大きな要因になっている様に思います。


逆にそのボクシングファンの選民思想がプロレス格闘技側のコンプレックスを刺激して、グレーゾーン的勝負論が発展して来たのは間違いなく、お互いはまったく別物だと思っていますが(特にボクシング側)、実は表裏一体。陰と陽の関係だ… と。

つまり北斗神拳と南斗聖拳みたいな感じです。



パッキャオにしろメイウェザーにしろ、ボクシングのスーパースターが格闘技のリングに上がる時の反応を見る度にそれを感じます。



そしてそのスーパースターを日本のボクシングのリングに招けない歯痒さ!



あれだけのビッグネームが目の前を素通りして行き、ボクシング世界タイトルマッチとは比較にならない話題を振り撒いているのを見るにつけ、これは本当に毎回毎回思いますね。



本物はひとつだけじゃない。

答えやモノの見方は一辺でなく色々あるんですよ。

と理解しなければ、日本のボクシングは近いうちに見向きもされなくなってしまうでしょう。