Twitterをやめてから長いあいだ放ったらかしていたアメブロを書く様になりました。



ブログというのは、つぶやきと違ってある程度の長文を必要とするので、いい加減でその場まかせの文章も少なく、その人の性格や考え方がより伝わって来ます。



中には成る程!

と共感させられるブログや読んで面白いものもあり、そんなブログは更新されると欠かさず読んでいます。



そういうブログに共通しているのは、

良いものは良い。悪いものは悪い。

と、ハッキリ言い切っているという事です。



例えば誰かの大ファンだとしても、その対象を盲目的に崇拝するのではなく、疑問や問題点があればそれを呈している。


これ、当たり前の様に思えますが、今の日本のスポーツメディア、特にいまこうして私が書いているボクシングのメディア。ほとんどが出来ていません。


井上尚弥の記事を見ればそれがよく分かります。



私は村田諒太や長谷川穂積、内山高志の現役時代にファンでした。

いまも好きですが、そんな彼等の言動をすべて肯定してはいません。



村田諒太。

最近も書きましたが、村田諒太は時に驕りが見え隠れする言葉を発信する事があります。しかも当たり障りなく。


綺麗な言葉で誤魔化して本気でガツン、!とぶつけて来ない所にあざとさを感じます。


ですので村田の言葉が心に響いた事はありません。


不倫DV報道に対する対応にも同じ様に感じています。



内山はとにかく解説が面白くない。

モテない男同士の内輪話みたいなのもまったくダメ。

常に誰かとツルんでダベっている印象です。


一人で何も出来ないヤツは魅力無いよ。



長谷川に関しては、いつも愛読しているブログに先日まさに言い得て妙の事が書かれていました。

氏が仰有るに、長谷川は以前インスタでネリ来日の噂について



「計量大幅に失敗して日本出禁なはず」。


「日本に来なくていい」。


「日本人選手と関わってほしくない」。



と強く発言していたにも関わらず、いざ東京ドームでの井上戦が決定したらAmazon primeの解説を引き受けるのはどういう事か?



私はこれを読んで膝を打ちました。



こういう「それはおかしいんじゃないの」?

と疑問を挺するのを否とするファンや関係者。

あるいは見てみぬ振りをして、都合のいい所だけを記事にする御用マスコミ。



たとえ熱狂的ファンであっても、おかしい事をおかしいと言えない空気感に、いまの日本ボクシング村は満ち満ちています。



その一方では、気に入らない対象にはとことん文句を付ける。

井岡一翔や3150FIGHTはその象徴だと思います。



私が他人の書き物を読む時にこれが出て来たら

「コリャ駄目だ‥ 読むに値しない」

と判断するキーワードがあります。


それは



『~ に比べて井上選手は・・・』。



これが出て来た時点でその文を読むのを止めます。



ガルシアの事を語るのにクリーンな(勝手な思い込み)井上チャンプならそんな事はあり得ない。

西田VSロドリゲスを語るのに井上選手と1ラウンドは互角に闘ったあの強いロドリゲス‥ 



なんでもかんでも井上を物差しにしないと話出来んのか?と言いたいですね。



井岡を語る時に中谷から逃げた云々という人の文章も同じです。

どう考えても中谷よりマルティネスの方がヤバい相手ですよ。



ステレオタイプで物事を見ないと気がすまないファンがめちゃくちゃ多いんだな。

と、井上尚弥がトップに立ってから強く感じています。


3150に関わる西田より、井上に関わったロドリゲスを応援する‥ という心理のファンがまさにそれです。


山中の敵を討ってくれ!と叫ぶファンもそう。

なんだったら再起不能にしろと書いている人も居ますが、そんなファンは逆になったらきっとネリを滅茶苦茶攻撃しますよね?



井上がネリを再起不能はオーケ。

でもネリが井上を…は絶対に許せない!



誰かがやる事はすべて肯定し、


誰かがやる事はすべて否定する。



ホント嫌いなんですよ。でも一番目に付くんです。



こういう文章から逃れる為にアメブロへ帰って来ましたが、ちゃんと見ているファンが少なからずいらっしゃる事を知り、心強さと、まだまだボクシングファンも捨てたもんじゃないな‥


と勝手に同志を得た気持ちでこれからも読ませて頂きます。




※ボクシングマガジン展望増刊号での予想も全員井上のKO勝ちって、それもう本にする必要ないやん!

と突っ込みたくなります。


読み物としても面白味の欠片もないし、読ませる気もない。

宗教の新聞と同じです。存在価値無し。