昨日は阪神タイガースがやっと勝ったという事でひと安心しました。

やはりオープン戦とは言え、9連敗というのは一昨年のアレを思い出していい気持ちがしませんでした。


そんな出だしついでに最近はボクシングの事ばかり書いていたので、今日は野球の話をしてみたいと思います。


私が野球を観始めたきっかけは姉の影響です。

姉は若トラと呼ばれていた頃に掛布雅之の大ファンで、私もものごころ付いた時には野球がそこにありました。


自分の意思で野球を初めて観出したのは昭和57

(1982)年。私が小学校四年生の時です。

阪神の監督は安藤統男さんでした。



その頃の阪神でよく覚えているのは、ピッチャーに速球を投げる人がほとんどおらず、子供の目線からもキャッチボールをしているのかな?

と思う位に軟投派のピッチャーばかりだった事です。


印象的なピッチャーを挙げると、大町定夫というアンダースローのメガネ掛けたサラリーマンみたいなピッチャー。



それから宇田東植。

この人は夏休みに甲子園球場へ観に行った試合で投げていて、あまりのスローモーぶりにビックリしました。なんて球が遅いんだ!と。

この人もメガネでボテッとしたアンダースローでしたね。


そして池内豊という、ちょっといまの島内に似た風貌とポジションの中継ぎ。

池内もサイドスローで投げていましたが、この時代の阪神はこんなタイプが多かったのかもしれません。



福間納や伊藤宏光・工藤一彦の煮え切らない万年エース候補。

あと藤原仁というニヒルな風貌のピッチャー。背番号47がなぜか今でも強く記憶に残っています。



唯一と言っていい頼りになるのは山本和行で、この人が出てくると間違いないという安心感がありました。


リリーフは感情を出してはいけない!


と先日も湯浅に対して岡田監督が言っていましたが、山本和行はまさにそれを地でいくポーカーフェイスでした。



阪神の守護神は山本をはじめ、田村勤、今の岩崎と無表情の系譜がありますね。   



打線の方よりも何故かピッチャーばかりが思い出されますが、先の掛布は全盛期でしたし、真弓明信や佐野仙好、まだ藤田平も最晩年ですが居ました。

岡田さんは私が観始めの頃は怪我で居なかった様に思います。


キャッチャーで覚えているのは笠間雄二とか山川猛あたりですね。

何故か若菜嘉晴はあまり記憶にありません。

むしろ横浜大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)に移ってからの印象が強いです。



私が一番好きだったのは北村照文でした。


北村は打つ方はイマイチでしたが、超強肩でセンターを守らせると超一流で、私は歴代タイガースベストナインのセンターは北村です。

新庄剛志も凄かったですが、やはり私の中では北村がナンバーワンセンターですね。



この頃の阪神は万年三位という優勝争いもしないし最下位争いもしないマイペースなチームでした。

子供ながらに優勝とはなんの関係もない球団なんだな‥と思っていました。


まだスタンドもいまの様に連日超満員という事はなく、巨人戦以外はガラガラの事も多かったです。

そういえば球場の外周に駐車場もあった様な‥


阪神パークという遊園地と、選手独身寮の虎風荘も道路を隔てた甲子園球場の向かいにありました。


地元のローカル局サンテレビ(当時はUチャンネルと私の家では呼んでいました)で試合のたびに流されるクロコダイル🐊の洋服CMにタイガースの面々が出ていたのもこの頃でしたかね😄


金蛇精という強壮剤の超強烈なインパクトのCMと共にこの時代の阪神を思い出します 笑