気が付けば2月に入っていた。


最近は私が愛読しているブログのチェックはしていましたが、

(いいね!を付けているのが愛読の印。

私はいいね!と感じたものにしかいいね!をしません。

つまり私のいいねは社交辞令でなく本当に読んで面白かった!参考勉強になった!のいいね👍なのです 。御安心下さい 笑)


自分がブログを書く気力がなく…

というのも唐突な衆議院選挙が始まり、なんか一体この日本の政治と大衆はどうなっているんだ!?

とあれやこれやと考えているととてもボクシングやプロレスの事を書く気力もなくなっていた‥という訳です。



しかしつくづく思うのは、ある物事に対し批判や疑問を呈するという事を責められている!責めている!!と受け取る日本人の何と多い事か?と言う事です。

批判を否定するから明らかに

「それ、おかしいでしょ」?

という事にさえ批判を躊躇う。


で、批判する人間をあいつは場の空気の読めない人間だ。イチャモン付けるな!雰囲気を壊すヤツだ!と叩く。

批判するという事がどういう事なのか?

これをまったく解らずにただ批判を批判する。

これほど権力を持っている側にとって都合の良い人間は居ない。


結果的にこれだけおかしな事が次々と明るみになって来ていても感覚が麻痺してしまって大した事無いみたいにスルーする様になる。

で、批判する人間を「批判ばかりするな」!!

と糾弾する。

糾弾すべきは明らかに悪い事をして批判されている側なのにそれも解らない。

すべては情緒と長いものには巻かれろ精神で批判する者を冷笑する。


この“情緒”が論理をすべて飲み込んでいるのが今の大半の日本人の政治観です。

これはなにも政治に限らず、ボクシングでもそうです。

強大な力を持つ者は批判する対象にしてはならない。



ボクシングファンの皆さん見覚えありませんか?

井上尚弥を批判する事はタブーとされていますよね?

井上の対戦者。井上に挑発的発言をする選手は誰であれ真っ当な評価をしない。

一方で井上をリスペクトする対戦者には本来の戦力以上の評価を与え、大したことない選手でも必要以上に持ち上げる。


これはトラッシュトークを異常に嫌うのもそう。

とにかく上辺の礼儀正しさにものすごく拘り、

上辺を取り繕う巧さがその選手の人間性すべてを表しているかの評価をする。

同じ様な事をしても井上だと無条件で是。

井岡だと無条件で非になる。

結局これも論理的でなく、情緒だけで、しかも表面の見せ掛けのみが対象。という極めて短絡的で底の浅い評価を出してしまうのです。

ルールルールとかマナーマナーと二言目には言う人達もそうです。



これがまた10代20代の若い人だけの話でなく、私達50代の人間でさえそうなのだから(むしろ多い)

本当にどうしようもない。

場の空気を読む事が美徳であり礼儀と飼い慣らされた人間が多数派なのですからこれは本当に何をかいわんやです。


もしなにかを批判する事をイチャモンと言って来る人が貴方の周りに居たとしたら‥

糸井重里みたいな批判するより自分の身の回りの事を楽しめる人でありたい。と批判する人間を冷笑する様になったら…

見掛けだけの中立を気取っていたら・・・


もうその人は立派に権力側に飼い慣らされた人間ですから。


おかしい事はおかしいと言う人が変人扱いされる世の中の方が明らかに変なんですよ。




※最近は数十年振りにプラモデルを作っています。

写真は食玩の帰って来たウルトラマン。

夕日を浴びる姿を塗装で再現しました。

ウルトラマンの様に不条理に立ち向かう心を忘れない様に生きたいです。




昨日愛読しているボクシングブロガーの第一人者である太陽と海様のブログで、ボクサーのニックネームの話を書かれていました。


私はそれを何度か読み返し、

「そうか‥ニックネームか…」

と、昨日一日ニックネームについてあれこれ空想しておりました。

真っ先に浮かんで来たのが



“浪花のブンブン丸”。


世界はおろか日本タイトルにも届かなかった長嶺一二三(ながみねかずふみ)のニックネームですが、これは本人のボクシングスタイルと相まって未だ強烈な印象を放っています。長嶺と聞くとブンブン丸となりますから。

その意味でも長嶺一二三というボクサーはタイトルこそ届きませんでしたが、90年代の関西ボクシングファンの心に刻まれています。


ニックネームから話が外れますがあの時代、同じ関西には長嶺のほかに塩見真司という中量級の新人王ボクサーが居て、この選手も一発があって面白い選手でした。

上山仁に挑戦した時はひょっとしたら…と期待しましたがあえなく撃沈。

風貌がGメン75に出てくる香港のマッチョマンみたいで独特な雰囲気ありました。


そうそう。藤賀寅留というアポロジムのハードパンチャーもいたいた!

浪花のブンブン丸から思わず1990年代関西ボクシングのパンチャーを思い出しました。


パンチがあるというのはロマンがあるし印象に残りますねやっぱり。





Amazon Primeがボクシングから撤退‥

という不確定情報がにわかに出て来ています。


事実だとすれば

思っていたより速かったけどやはりか。

これが私の感想です。


昨年11月に那須川天心が井上拓真に敗れ、

Amazonとしては此処らが潮時と思ったのでしょうか。

月額600円という気軽さもあり私としても今現在唯一の有料契約でした。その意味でもAmazon撤退となると中々現地観戦の出来ない私の中のボクシングはまた遠いものになってしまいます。



以前にも書いた様に私は井上尚弥と那須川が引退した後には有料配信媒体が一斉に撤退するだろうな‥と予期していました。

Amazonにとってボクシングは村田諒太がGGGに挑む事が実現した時点でひとつの区切りだったと思いますが、那須川のプロボクシング転向で延命して来れたというのが現実でしょう。


しかしボクシングファン…と言うよりボクシングオタク(以下ボクオタ)は頭の堅い人間も多く、そういう人はキックから転身して来た異分子の那須川を受け入れませんでした。


同じキックでも武居はあくまでも主役でなく井上のバーターでありましたからすんなり受け入れられた。

那須川は村田なき後のAmazon Primeの“顔”となり、中谷や寺地、その他世界チャンピオンを押し退けて中心として扱われていました。

ボクオタ的にはこれが気に入らない。


ボクシングで実績の無い那須川が何故パンフのど真ん中なんだ!


何故メインが中谷じゃないんだ?寺地じゃないんだ?


そこへ来てそれら世界王者より自己プロデュースに長ける那須川。

ハッキリ言えば昭和から何も変わらない旧い体質の村社会であるボクオタ界隈では亀田ブラザースと並んである意味村八分扱いされていました。

とにかくボクシング以外で目立つボクサーが嫌いですからボクオタは。


しかし番組やマスコミ媒体ではその思いに反してエース扱い。

そしてさらに番組制作側もボクシングでエンタメは御法度…と思い込んだのか、せっかく那須川というスーパースターがボクシングに来てくれたのにそのキャラクターを全く活かせず、地味でストイックで生真面目に売り出してしまった。他の王者と同じ様に。つまり面白味に欠けた。

で、結果的に思っていたほど世間の関心も集められずに初の世界挑戦でも敗北‥


というAmazon Primeからすればもう撤退するに充分過ぎる答えが出てしまったのです。


「那須川ってボクシングに来たらなんだか地味で思ってたよりつまらなかったな」


そんな風にボクオタ以外からは冷ややかに見られていたし、ボクオタからは彼らの思う“ボクシングという他とは一線を画す崇高な格闘技”

のカタにハメようとされ、彼らの不満ばかりが目に付いた。


これはある意味で日本のボクシング界という場所が

前近代的でお客に観て貰って成り立っているというのがどういう事なのか?

を業界の人間が真剣に考えて来なかった結末だと私は感じています。

東京ドームという大会場がありますが、あの舞台を他の格闘技は頻繁に使えて満員にしていたのにボクシングだけはマイクタイソンから30年以上も開催出来なかった事も同じです。



那須川を活かせ無かったボクシング界と受け入れ無かったボクシングオタク。


Amazon Primeが撤退しても今後那須川は他で配信されると思いますが、地上波という日本人に根付いた媒体に降りて来ない限りは大きなムーブメントも起きる事なく、キック時代の熱狂も生まれずフェードアウトして行くでしょう。


そしてそれは那須川一人で済む事ではなく、

日本のボクシングもアングラな競技に沈んで行くという事です。




※ボクシングオタクは那須川が中心に扱われるのを極端に嫌っていたが、那須川が居なければここに写っている世界クラスのボクサーは中継すらされずにいたという現実を忘れている。
現代のボクシング世界王者の知名度はそれほど薄い。






久米宏が亡くなった。


ぴったしカンカン。ザ・ベストテン。ニュースステーション‥私のなかではTVスクランブルという番組での横山やすしとの掛け合いが印象深い。

あのやっさん相手にも怯まず突っ込んでいたのが面白かった。


しかし久米宏の事を好きか嫌いかで言えば私は好きではなかった。


尺の決まったテレビで枠に納めようとマシンガンの様に早口で詰め込む。

あれこそ久米の久米たる真骨頂だったのだろうが私は苦手だった。


でもおかしな事を


「それ、おかしいでしょ?間違っているでしょ」?


とキチンと言えるテレビマンだった。

相手が誰であろうと。



テレビはスポンサーありき。

よくよく考えたら公平性なんて有り得ないのだ。

お金を出して貰っているのに噛み付くなんて出来ない。これはNHKも同じだ。時の政権に逆らえない。


だからテレビにジャーナリズムを求めるのはおかしな事だと今は解る。


それでもこんにちの在阪局の様に維新!維新!とまるで維新しか存在しないかの様な一方通行のプロパガンダを流し続けているのを見せられていると、久米の様な存在は貴重だったのだな‥とあらためて思う。


その意味で久米は今はもう居なくなったガス抜き以上のジャーナリストだった。



高市政権、解散総選挙を決行するという。

国民の生活なんて一ミリも考えていない大義名分の無いつまらない自分の意地だけを懸けた選挙。

いまなら勝てると踏んだのだろう。


1991年末にバブルが崩壊してから今年で失われた35年になった。


政治の話をする時に直ぐ右だ。左だ。中国が‥

と言うヤツの話は聞くに値しない。

ただひとつ言えるのは、自民党のなかで誰が総裁になったとて世の中は何も変わらないどころか悪くなる一方だという事だ。


それに何割の有権者が気付く事が出来るか?

三割でも気付けば大きく変われると思うのだが・・

そこまで解るヤツが果たして居るのかどうか。

いや、そもそも解る解らない以前に政治なんて私には関係無いと思っている人間の如何に多い事か。

でなければ此処まで酷い政情になっていない。



久米宏は決して反体制では無かった。

思想でなくただおかしい事をおかしいと感じられる感性を持っていた。


このままいつまで国が維持出来て失い続けられると思っているのだ?

いい加減退化した感性を磨け。日本人。




※いま読んでいる岩波書店刊「私の戦後80年」。
このなかに久米宏の文章があって丁度読み終えた所でした‥





一昨日の昼間、リビングの掃除をしていたらBSで「ブラックレイン」が放映されていました。


松田優作の遺作であり、高倉健、マイケルダグラス他豪華出演者で話題になった映画です。

ハタキで白雪の様に積もったホコリと格闘しながら結局エンディングまで観てしまいました。


私、このブラックレインには思い出がありまして、中学三年生の秋。

世の中は昭和天皇の静養中で自粛ムード。ボクシングで言えばシュガーレイレナードがドンラロンデに挑んだ時分だったと記憶しています。


当時私は十三(じゅうそう)に住んでいました。

十三バイパスの高架下にあった進学塾に通っていて、その日は雨でした。

この塾は勉強の遅れている子や苦手な子らを対象にした塾で、他と違ってユルい雰囲気でした。

そこに田中君というミカンを皮ごと食べるのが得意な子がいまして、遅刻して来た開口一番


「な!?そこの栄町でなんか映画のロケやってるわ」!!


と言って、それでそのまま講師も含めた塾のみんなで見に行く事になったのです。

栄町商店街というのは十三の歓楽街で、キャバレーや居酒屋・女の子と遊ぶお店が集まっている場所でした。

そこでロケが行われていたのです。


現場に行くとすでにギャラリーが集まっており、商店街は封鎖され近付けない状況でした。

人だかりのなか覗くとバイクの集団と外国人二人が話をしていました。

その時はなんの情報もなかったので田中君に聞いたところ、なんでもアメリカの映画で日本が舞台だという事でした。

それにしても東京でなく寄りによって大阪でしかも十三か!と思ったものでした。



一年のちに映画を観てマイケルダグラスとアンディガルシアが並んで栄町商店街を歩くシーンを観て「これか」!

と思うと同時に、映像というのは大したもんだな。と感心しました。


いまはなき阪急百貨店のコンコース、ヨーロッパの大聖堂を思わせる高い天井と薄暗い雰囲気も映像のなかで私の頭に残っているままで再現されていました。

高校の帰省時カタログを貰いに必ず寄っていた

いすゞ自動車のショールームも懐かしい。

今のコンコースも良いですが照明が明る過ぎて雰囲気が無いのが残念です。


戎橋の4本立つ照明タワーのキリンプラザ。大キャバレーに集まるサラリーマン‥

今ではどこにも感じられない華やかなりし日本の空気も強く伝わって来ます。良くも悪くもなにもかもがイケイケの時代でした。



当時は狂気がかった松田優作にばかり目が行きましたが、今観てみると高倉健の高倉健たるところ…

特に普段の作品ではまず見られない健さんの都会的で洒落た部分が際立っているし、若山富三郎のいかにもな所も、そしてガッツ石松がこれまたなかなか・・魅力あるんですね。若い時には解りませんでしたが。


あれから38年もが経ち、出演者もだいぶんと居なくなってしまいましたが…

元気でしたね。街も。人も。


別になんて事ないストーリーなのですが、それでもやっているとつい観てしまう映画。

あの映像の先に16歳の私も居る。

そんな時代が詰め込まれているのがいい。

私にとってのブラックレインとはそんな作品です。



※この先に見える駒形提灯の先で私は見学していました。
雨が降っていてとても寒く、ずぶ濡れになったのを今でも覚えています。