元ヘビー級3団体世界王者アンソニージョシュアがマイアミでYouTuberでクルーザー級世界ランカーでもあるジェイクポールを6ラウンドTKOで下しました。


アメリカボクシングの現在地。

それを見せ付けられた様なイベントでした。

いまの主役はボクサーでなくインフルエンサーなのです。


元々面白ければ何でも楽しむアメリカ人の懐の深さとも言えますが、逆に言えば純粋にボクシングだけで牽引出来るスーパースターが存在しないという証しでもあります。

もっともそれはマニーパッキャオが全盛期だった20年前からそうだったので今に始まった訳ではありません。


そう考えるともうずいぶん長い間ボクシングのスーパースター不在が続いています。


メイウェザーが居ましたが、メイウェザーもマニアにはともかく一般大衆にとっては爽快さよりストレスの溜まるアンチヒーローでした。

ポールも本職はYouTuberですがボクシングが出来、ビッグネームと対戦してボクシングファンを苛々させるというアンチヒーローです。


現在はYouTuber‥ インフルエンサーと呼ばれる存在があらゆるエンタメの世界でそれまでイチから築き上げて来た第一人者に一見肩を並べられる時代です。

詳しい人が見れば全然比肩していないのですが、

一見しか見ない人にとっては同じく見えるのです。

むしろ話題作りに長けているインフルエンサーが主導権を握り、話題を作り、それに本職が乗っかる。

いまアメリカボクシングでもっとも客を引っ張れるのがジェイクポールというのがまさにそれを証明しています。 


みなポールが主役でボクサーはそれに色を添える脇役。

昨日の試合でもジョシュアは懸命にその役割を全うしていました。

自分に期待されているものが何か?

ジョシュアがそれをよく理解していたのを見て彼は真のプロだなと思いました。


残念ながら純粋なボクシングファンが熱狂したアメリカ人によるアメリカのスーパーファイトは今はなく、こういう形に趣を変えてしまったのです。


2025年暮れのアメリカ。

マイアミのリングで大観衆を惹き付けたのは屈強なアメリカンボクサーでなく、YouTuberとむかし強かったイギリス人の元王者でした。


アメリカ=ヘビー級世界チャンピオン。

アメリカ=ボクシングスーパースター。


私の様にこんな幻想を未だ持ち続けている旧い人間はもうフィルムの世界で生きて行くしか無さそうです。














WBAバンタム級タイトルマッチ、チャンピオン堤聖也が伝説の男ノニトドネアに辛勝した。



ま、なんというか‥ 

これを名勝負とか歴戦の勇士ドネアが最後に魅せた意地!!と語っていいのかどうか。



正直言って戸惑っている。



かつて42歳のジョージフォアマンが時のヘビー級統一王者イベンダーホリフィールドに挑み、激しい熱戦のすえ判定で破れた時にも私は思った。


「ひょっとしたら昔のボクサーの方が強いんじゃないか」?



今回の堤ドネアを観てまたこの思いが頭をもたげて来ている。

この思いは井上尚弥が6年前最初にドネアと闘い死闘を演じた時もそうだった。


ドネアが長谷川穂積を乱打してストップしたフェルナンドモンティエルを失神させたのはもう14年も昔の事だ。

私はドネアの絶頂期はこのモンティエル戦の前後だと思っている。

井上戦から遡っても8年の隔たりがある。

つまり井上と戦った時、ドネアはもう過去のボクサーだった。



そんなドネアは2025年の暮れ、私が予想していた以上に距離の取り方、カウンターのスピード・タイミング、これが良かった。

しかしそれにしても‥である。



つまり私が思うに、現代のボクサー‥いや、バンタム級世界チャンピオンは干からびた43歳のドネアと互角の実力。

要するにひと昔前のチャンピオンよりレベルが低い‥そう思うしか無い試合展開だったのではないだろうか?


昔のボクサーを語る時、オールドファンは言う。

「◯◯の時代は良かった。それに比べて近ごろは・・」

と。

それは甘い想い出が加えられてもいるが、

あながち間違っていないのかも知れない。


かつての名王者は現代の王者には通じない。

時代が10年違うともうそれは別の競技だ。


たしかにそういう部分もあるのだろう。

だが本当にそうだろうか?


34年前にフォアマンを観てから答えの出ていなかった忘れかけていた宿題がまた老ドネアによって目の前に突き付けられた。


堤聖也VSノニトドネアはそんな闘いだった。




それともうひとつ。


堤はナルシストだ。

自分をカッコ良く魅せたいが為に、偉大なるフィリピーノフラッシュが如何に凄いボクサーか!

を知らせたいが為に、またその偉大なる伝説に立ち向かう俺って勇敢でカッコいいだろ!

を観衆に見せ付ける為にあえてあの展開に持ち込んだのだとしたら・・・


流石にそれはないか。




※34年前、フォアマンが遺した宿題が再び私の前に突き付けられた。フォアマンはいつも私達ファンに語りかけて来る。


※昨日のドネアはこの恐ろしく強かった2011年のドネアでは無かったのに‥
ならば時代の進化とはなんなのか?
4団体に日本人がバンタム級世界王座独占!というのはそんなに誇らしい事では無いのではなかろうか?



53歳になりました。


今日はそんな私が生まれた1972年12月のボクシングマガジンを紹介したいと思います。


表紙は輪島功一と大場政夫。
当時を代表する世界チャンピオンの二人。
この頃のマガジンはビートやワールドと同じ右開きだったのですね。
輪島のサービス精神満点の表情と真剣な眼差しの大場の対比が面白いですね。
なんと定価300円!時代を感じます。晩年は1000円オーバーでしたから・・・


ピンナッブは古本で購入した時点で切り取られていてありません。
カラー1ページ目は後楽園ホールで行われた辻本章次とライオン古山、野畑寿美男の豪華トリプル日本タイトルマッチ。
当時からこういう複数タイトルの企画があったのですね!
辻本と古山はのちに世界挑戦まで行きました。



モノクロページの最初はリカルドアルレドントに挑むアポロ嘉男。
私の中学時代の同級生が三国のアポロジムに通っていて、当時はプロになると言っていました。
張正九VS大橋秀行を私に教えてくれたのは彼でした。
彼がタイソンのコンビネーションのシャドーを完璧に再現した時は驚きました。私は何度も彼にシャドーを見せてくれ見せてくれ!とおねだりしたものです😄


WBAとWBCしかない時代。
対抗王者という概念が定着しつつあった頃なのかな?ベニスボーコーソーはどことなくアマヘビー級伝説の男ステベンソンを思わせるものがあります。


〈AP特約〉というのが物理的に世界が遠かった時代を感じさせられます。

花形進、日本フライ級タイトル奪還。


輪島はテクニシャンだ(対マットドノバン戦から)
むかしはプロレスも野球もですが、こういった連続写真がよく掲載されていました。
これはフォームやパンチの軌道・足の動き等々色々分かるので重宝したものです。

1972年12月号もくじ。ホセナポレス。
和歌山で龍反町とエキシビションをやっていたのは驚きです。


輪島功一と大場政夫の対談。

輪島の愛車はいまはなきマツダカペラ。

この時の大場の愛車はポンテアックファイヤーバード。帝拳と大阪帝拳の広告もあります。帝拳ジムナジムという名称だったのですね😮

沢木耕太郎の傑作「一瞬の夏」にも出て来た船橋ジム。この時は船橋ヘルスセンターがスポンサーだったのかな?
カシアス内藤・内山真太郎・そしてエディさんの名前も見えます。


年明けの世界タイトルマッチ展望。
大場VSチャチャイ。まさかあのようになるとはこの時は誰にも予想だにしなかった‥

いまや伝説として語りつがれているガッツさんの池袋8人KOの記事。


沼田義明プロゴルファー転向?
“第二のジャンボ尾崎になれるか”。沼田会長にこんな過去があったのは初めて知りました😆!


本当はもう少し紹介したかったのですが、15枚しか貼れないという事でこれくらいにしたいと思います。
しかし当時のボクシングマガジン、読み物がギッシリで晩年とはえらい違いです。

そんな訳でまたひとつ年を重ねましたがこれからもどうぞ宜しくお願い致します。



5年前に私が書いたブログ。



「拝啓マイクタイソンを教えてくれたT君へ」。


このブログでも書いた私がボクシングを観始めたきっかけになった映画「ロッキーⅣ~炎の友情~」。

このロッキーⅣが全米で公開されてから40年が過ぎました。



あれから数多くのボクシング映画を観て来ましたがこのロッキーⅣを超えるインパクトを感じた映画はありませんでした。

そりゃそうです。この映画を1988年の正月に観てから2025年のいまに至るまで、何やかんやありながら一度も離れる事なくボクシングを追い続ける事になっているのですから。



もう何回観たでしょうか。

おそらく千回に近く観ていると思います。

場面場面のセリフや音楽、すべてが頭の中で再生出来ます。


若い頃はロッキーに感情を揺さぶられ、アポロを見て同時期に知った全盛期のマイクタイソンにかつての王者ラリーホームズが再起して挑む姿と重ねて観て心を揺さぶられましたが、まもなく53歳を迎えるいまとなってはポーリーにこそ感情移入してしまいます。


だらしなくて自分勝手で下品なオッサンだなポーリーは!

と若い時は思っていました。解らなかったんですね10代20代の私には。

でも今の私にはこのポーリーは愛すべき男というのがよく解ります。吹替え版でドラゴとの一戦を目の前にしたロッキーにポーリーが


「お前はいつも俺を人並みに扱ってくれた。

馬鹿にしなかった」。


と涙ぐむ場面がありますが、ロッキーがポーリーを一人前の男として認めていた気持ちも、ポーリーを見つめて寄り添うエイドリアンの気持ちも、そして何よりポーリーの気持ちがよく解る。

ポーリーの苦難はのちのロッキーファイナルに至っても続きますが、その時もロッキーのポーリーへの想いは変わらず対等に向き合っていました。



私ね、最近のこの日本の国の世の中の空気感が本当にしんどくて、


「なんでこんな国になってしまったんだろう」?

とずーっと憂鬱な気持ちで過ごしているのですが、

なんかね、ロッキーⅣを観ていると解るんです。

それはきっとポーリーみたいな人間の価値を認めないからだな。と。


もっとロッキーみたいにみんながおおらかになれば

こんな嫌な社会じゃなくなるのになんでみんな解らないんだ!と。


今はポーリー自身がポーリーみたいな人を攻撃して一瞬の憂さを晴らすのに必死になっている様に思えてなりません。

肩書きや成果でしか人を見れなくなった日本人がロッキーとポーリーみたいに認め合えれば明るく楽しい世の中になれるのに・・


青臭いんだよお前は。現実をみろ!

なんてクソ喰らえ。

こんな日本の地獄みたいな現実を見てこれなら変えて行くしかない。

52歳の私はこれからも青臭さを失わずロッキーバルボアの強さでなくおおらかさを忘れず生きて行きたいと思います。


さあ、久しぶりにロッキーⅣを観るか!!





スマホになってから小説を読むという事がなくなってしまいました。


本を読みたい。本を読みたい。と書店へ行っても手に取るのはボクシングやプロレス関連ばかり。

エッセイはまだしも小説は買っても本棚の飾りになるだけでした。

映画もそうですが長い話を読むのが面倒臭くなってしまっています。


そんななか昨夜‥ いや今日AM1時過ぎに前々から寝る前に読む用に枕元へ置いていた小説を読み始めました。

最初はスマホから離れなければ・・

という軽い気持ちで睡眠導入剤を飲んでからページを捲っていたのですが気付けばAM10:26!

睡眠薬の効き目も忘れ、分厚い文庫本も残り数ページになっていました。

とにかく惹き込まれ、次のページ次のページと先が気になって気になって止まりません。


読んでいたのは大沢在昌の「晩秋行」。

30数年前の1991年9月にフェラーリカリフォルニアスパイダーと共に消え去った恋人を追い掛ける物語なのですが、何に惹かれたかと言えばバブル絶頂期から失われた30年を経たドン底の現在への歳月の長さを見事に表現している事です。

文字から場面場面の景色や顔の表情や感情が4Kハイビジョンの如く浮かんで来ました。




自分の中での“あの人”というのは中年期を越えると誰しも居るかと思いますが、そのあの人はその時代で時が止まっています。

自分が50過ぎても記憶の中のあの人は16歳だったり21歳のまま。


そんなあの人は今は何処で何をしているのか?

この激動の時代の変化を生き抜いてこれたのだろうか?

今の彼女・彼はどんな姿になっているのだろうか?


もう記憶の奥に仕舞い込まれていた、忘れていたあの感情が目の前に生々しく現れたとしたら・・・


あまりにも出来すぎた偶然が重なり過ぎた展開や結末は「そんな話は無いだろう」

とツッコミ所もありますが、それ以上に懐かしく、自分のこの30年間の人生とも重なってホロッとさせられました。


そしてやはり男というのは女性の掌の上でピエロになっているのだな‥ と強く感じましたね。


こんなに腐り切ったどうしようもない世の中ですが

久しぶりに良質な大人の純愛小説を読んだ気がします。