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この本の帯には、
餃子、腸詰め、ワインまで!
中華料理で文化を味わう、芥川賞作家の食べものエッセイ
中国東北部の食文化を多数のカラー写真で一挙公開!
って書かれている。
こじんまりと綺麗な装丁も郷愁を誘い、わたくしが7年住んでいたかの地の食の記憶を幸福に辿り直す、っていう感じで手に取った。
のっけから出てくるハルビン(ここに住んでたんじゃなかったけど何度も行った)市街や防洪記念碑の写真におお!と極私的に盛り上がり、1964年生まれの楊さんが綴る、ヒマワリの種や氷棍児の話を楽しく読んでいたのだけど。
「下放さえなければ、ささやかな幸せが続いていたに違いない。一九七〇年一月、五歳半の子供の楽しみにピリオドが打たれた」
文革の真っただ中、両親とも教師だった楊さんの一家は、「農民の再教育を受けなければならない」という理由で、ハルビンから遠く離れた、電気も水道もガスもなく、零下数十度の中、窓には枠があるだけで紙さえ貼られていない農村へと「下放」される。
楊さんの筆致は淡々と、そこでの「食」を中心とした暮らしの記憶を紡いでいくのだけど、こんなくだりがある。
「父は極度の近視で、畑仕事には慣れず、草と間違えて苗を取ってしまうこともしばしばあった。政治状況が厳しく、ただでさえ、さまざまなでっち上げでレッテルを貼られ、批判大会に引っ張り出されてしまう時代だったから、苗を取ったことが万一ばれたら、たちまち階級立場の問題だの、故意に革命の妨げを企むだのの大事になってしまう」
いくつかのブログのコメント欄で書いたことがあるのだけど、赴任前に中国に詳しい弁護士が講師を務めるセミナーに行ったことがあった。
そこで講師が言っていたのは以下のようなことだった。
皆さんが中国に赴任したとしたら、どうか文革時代に青春時代を送った人たちを大事にして下さい。
彼らは一番大切な時期に教育の機会を奪われた人たちです。
確かに能力は劣ることもあるかもしれません。でも、彼らをないがしろにしたら、周りの中国人たちは黙っていません。みんなが、あなたが彼らをどう扱うかを見ています。
彼らは、中国人たちの、共通の痛みなのです。
おれが最も頼りにしたチームなめぴょんのチーフである声のデカい営業部長や、面接の度に「最近の若いやつはー」と嘆くたたき上げの製造部長はまさにこの世代の人たちだった。
情に厚く酒に厳しい東北人たちだった。他の日本人からは「営業部長はなめぴょんには甘い」と酒の席でクレーム(笑)が出ていたが、初めの頃の宴会の終わり際わし何回床に転がってたと思てんねん。
この本で描かれるのはそういう「酸甜苦辣」の時代の、でもかけがえのない半径5mの目の前のあなた=家族との食をめぐる日常である。
やっと農村から解放されたと思ったら、高校の教室の一室に放り込まれ、煙突などついてないので食事の度に部屋中が煙にまかれる暮らし。淡々としたトーンだけに、時折出てくる、母親の「煙にむせた真っ赤な眼からにじませた涙」や、うちわを持った父親が「鼻を強くつまみひたすら煽っていた」なんていう記述はいっそう迫ってくるものがある。
だけど、だからこそ、この本には生をつなぐための「家族」「食事」の記憶がこんなに鮮やかに記されている。
どんな状況にあっても続いていく暮らしのかけがえのなさ。「思想」「天下国家」みたいな得体のしれないものに振り回され、踏みにじられてはならないありふれた生。
そしてそれは、時代や国境を越えて、こうの史代の作品なんかにも描かれているものだ。
もちろん本書で語られる食べ物そのものも魅力的です。
饅頭、なつめのちまき、いぬ(各所にごめんー)、酸菜(ひなべや焼肉に入れてもウマい)、水餃、ハルピンウインナー!これもウマー!、蛙の姿煮(子持ちさんは蟹のたまごの味がします)・・・
食の記憶には匂いや空気感がたっぷり詰まっている。
そしてあちこちに散りばめられてる現代の東北部の写真の、街角の中国語看板、雑貨店のたわし、プラスチックの椀と煮込み野菜の色・・・
みんな総動員で、帰りたい気持ちにさせよるのよ。


100連発には肩より低く頭を垂れることもあるが、すとりっぷにそぎ落とされたソリッドまたはチープなサウンドに乗っかるヨーコさんの歌は、
